唐紙師トトアキヒコ
従来の唐長の唐紙を継承した襖や建具、壁紙、唐紙を用いたパネルやランプなど現代の暮らしに合うさまざまな唐紙のしつらいのオーダーをアトリエKIRA KARACHO(雲母唐長)にてうけ、またそれを制作すると共に、唐紙の芸術性を追求し、点描とたらし込みを融合させ自らの指で染めてゆくトトアキヒコ独自の技法「しふく(Shifuku)刷り」や「風祈」と呼ばれる技法から生まれるアート作品は、美術館にも収蔵されている他、寺社仏閣、公共・商業施設、個人邸宅など、さまざまな場に納められており、その独特の気配と世界観を持つ唐紙作品には、言霊が宿り、情景や物語がそえられることから「ことのは唐紙師」と呼ばれている。名刹養源院に奉納されたアート作品「星に願いを」は、俵屋宗達の重要文化財「唐獅子図」と並んでいる。同寺にある俵屋宗達の重要文化財「松図」の唐紙修復も手がけており、一方では美術館にて唐紙の歴史上初めてとなる唐紙アートの美術展を開催するなど、伝統の継承を行いつつ、現代アートなる唐紙の世界を築き、前人未到の道を切り拓いている。
2015年9月、言霊と撮りおろした写真をまとめ、初エッセイ「日本の文様ものがたり」(講談社)を刊行。

TOTO has been working as a craftsman in KARACHO, that is a famous studio of KARAKAMI woodblock-printed paper in Kyoto established in 1624, and making traditional ‘fusuma‘ sliding doors and wall papers, and he is also passionate about an artistic expression with KARAKAMI. His original method called ‘SHIFUKU’ painting with his fingers can create unique works of art.
He provides his KARAKAMI works for various temples, shrines, museum,public facilities, and private houses, and people feel drawn to his works which the spiritual power of language brings some scenes and stories, that is a reason why he is called KOTONOHA KARAKAMI-SHI.
His artwork called ‘Wish on a star’ is displayed next to the important cultural property by TAWARAYA SOTATSU in YOHGENIN temple in Kyoto, and he had also restored another SOTATSU’s work there.
As mentioned above, he is devoting himself to maintain the traditional works, and trying to establish the contemporary arts with KARAKAMI at the same time.

KARAKAMI artisan
TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
[雲母唐長]KIRA KARACHO online shop



唐紙師トトアキヒコのブログ(2008年5月〜2013年6月)

http://blog.goo.ne.jp/kiratoto
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KIRA KARACHO(雲母唐長)/ことのは唐紙師トトアキヒコが奏でる光と音…「唐長美術館」への軌跡
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2017.10.30 Monday
命と命を繋いできた唐紙
命と命を繋いできた唐紙.JPG

何を表したかということよりも
何が現れているかのほうが大事


唐紙は、生まれた瞬間にとても艶やかで儚げな美しい景色を見せてくれる。

随分昔から、この乾く前の唐紙の景色は、板木とともに撮り続けている風景だ。
ちなみに、ほぼ毎回制作を終えるごとにぼくはその唐紙や板木の風景を撮り続けている。
毎日、唐紙と向き合う訳だから、その数は圧倒的に日々更新され続けていることになる。

即ち、それはぼくがどこの誰よりも、世界一、唐紙を撮り続けている人間であることを示している。


残念ながらお客さんのとこへ届ける際には、見ることができない絵の具が乾く間の刹那の趣は、唐紙は水のカミさまとともに在ると信じるぼくにとって、この瞬間は、不揃いの美の骨頂である。

そして、それこそがぼくが唐紙に見いだした美の力の神髄でもある。

目で捉えれば、これは梅の文様であるが、依頼した経緯とそのお客さんとの関係性においては、これは唯の梅ではない。
なぜなら、お客さんとの間には、
なぜこの文様を選んだのかという意味や物語がある
そして、それにぼくがどう応えたかということがその唐紙には宿っているからだ。

だから、目に見えること以上に潜んでいるモノ(魂)がそこに在る。
ぼくは、それを「気配のある唐紙」と呼ぶ。


何を表したかということよりも
何が現れているかのほうが大事


この写真1枚にしてもそうだ。
似せたり、真似たりしても
表層的に表向き同じような安易なコピーや複写と
そもそものオリジンは似て非なる差がある。

唐紙も同じだ

使い捨てられ次々に消費されてゆくモノと
長く残るモノの違いは何か
ほんとうの豊かさとは何か


およそ400年もの間、命と命を繋いできた唐紙
ほんとうの豊かさとは何か
こういう時代だからこそ、唐紙という手仕事を通じて、ぼくは世に問いたい。










2017.10.29
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 02:00 | - | - |
2017.09.18 Monday
プラトンの洞窟とトトアキヒコの唐紙
プラトンの洞窟とトトアキヒコの唐紙1.JPG

「文様」には、祈りの風景が在ります。表層的な「デザイン」ではありません。 そこには、人々の祈りや願いが込められ、神さまが潜んでいます。:日本の文様ものがたり(講談社)はじめ書きより




建築家飯田都之麿さんの言葉
「唐紙は光の文化であると言うトトさんの唐紙は光ですよね。けれど、トトさんの唐紙は光が違うんです。なんか色が違うというか、何かが違う…」と、何度か言われてきた。


あるプロジェクトで打ち合わせの際に、プラトンの洞窟の比喩がでた際に彼が呟いた。


「そうか、イデアと同じだ!文様は影です。トトさんの唐紙は、文様に潜む祈りの影を光としてうつしとっているんだ!それがトトさんの唐紙ですよ」


その言葉は、これまでぼくが唐紙における文様には祈りの風景があるという言葉を捉えたさらに一歩つきつめた言葉となり、ハッとしたぼくの肚にポトリとおちてきた。
彼がくれた衝撃的な言葉は、ぼくの唐紙師人生に新たな風をもたらしたと思える大切な言葉となり、これから存在してゆくだろう。

文様は祈りの風景である、とこれまでずっと伝えてきた。
祈りは、一般的には目に見えないけれど、祈りが文様というカタチに置き換えられてそこに思いがひそんでいるとすれば、その文様を光として今を生きる人たちの眼前に差し出し、または世にあらわし、伝えるのがぼくの仕事であると思った。

唐紙の文様について



古代ギリシャの哲学者プラトンの洞窟の比喩は、目覚めから悟りの段階をわかりやすく伝えていて、洞窟に閉じ込められた囚人は、洞窟の中に映し出される影絵のような影像だけを見ていて、それが実物だと思っています。

思い込みや既成概念にとらわれては、事実と真実の違いにすら気付かない。

現実社会では「野に咲く花の美しさ」や「煌めく星空」など、さまざまな形で「美しさ」が目の前にあらわれていますが、花や星空の美しさは、それ自体の美しさからではなく、森羅万象全てのもとである「美しい」ということ「美」そのものが存在するからこそ、人はその「美しさ」感じることができる。



雲母唐長PV動画をご覧いただければおわかりいただけるが、唐紙師トトアキヒコが手がける唐紙には1枚足りとて祈りのない唐紙は存在しない。毎日、文様に潜む祈りに思いを馳せ、命がけで守り伝えた先祖や唐紙を愛した人たちへの感謝を捧げてから、オーダーされた方のための唐紙と向き合ってきた。


これからも美しい唐紙の光を通じて、人々の祈りのカタチと物語を後世に受け継ぎたいと思う。
そして、こういう不安定な時代であるからこそ、唐紙の美を通じて人々の心がおだやかであること、世界が平和であることを今一度、強く心に念じたい。



写真は、飯田都之麿さんが手がけた極上の眠りを目指した寝室。かぐや姫の世界を思い手がけた神秘的に華やな移ろいを醸し出す陰影ある竹の唐紙は、特別な調合のゴールドで染めました。下記写真は、屏風に唐紙作品「ミズハ」や収納扉に唐紙が用いられており、これら建築家飯田都之麿さんとの仕事は、I'm home.にて今月特集記事で紹介されています。
I'm home. no.90 2017 November
HOME FOR LUXURY
上質な暮らしをかなえる
プラトンの洞窟とトトアキヒコの唐紙2.JPG









2017.9.18
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 17:38 | - | - |
2017.09.10 Sunday
相田みつを美術館での前人未到の日
あれから3年.JPG

唐紙の美 トトアキヒコの世界
雲母の旋律 - 400年のひととき -

2014年9月9日、東京国際フォーラム「相田みつを美術館」でぼくの初めての個展が美術展として開催された。
それは長い唐紙の歴史の中、唐紙師が唐紙をアート作品として展覧会を美術館で開いた初めての日ともなる。

初日、記念講演会で館長の相田さんのことばは、今もぼくの胸に刻まれている。

伝統を継承する二つの方法
相田一人さんのことば






あれから三年…

会期中に来場者数千人もの方々とともに一緒に手がけた大切なしふく刷りの作品を見る。
つらかったこと、苦しかったこと、たのしかったこと、嬉しかったことも全てこの唐紙は知っている。
この唐紙のおかげで、自分で決めた道を戻ることもなく、ふみはずすこともなく、時に泣き言や愚痴も言えたし、良い時もそうでない時も前へ前へと道をすすめた。
それは、この唐紙がいろんなことに耳を傾けてくれたからです。
みなさんに、とても感謝しています。


前人未到とは、文字通り前人がなく指標や手本がないため、良いも悪いも矢面に立ち、全部まるごと引き受けて立ち続ける覚悟が必要なのですが、難しいことはさておき…
ぼくは、ただ誰もが唐紙を愛せる道を探し考えつづけているだけです。

誰にでもわかる唐紙
美しい唐紙を通じて世界をより良くすること

そのことは、誰にでもわかる書を探求し続けた相田みつをさんの生き様に共通する何かがあるやもしれません。














2017.9.10
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 18:14 | - | - |
2017.08.30 Wednesday
信じる自由
信じる自由.JPG

刷毛を一振り…二振り…するうちに、やがて心はどんどん空っぽになってゆく。



今日も染めてた。
気付くと2000回以上ほど刷毛を振っていた…
不思議なもので
そうこうしていると、今迄気付かなかったカミさまのサインに気付いたりする。
だんだんと心が軽くなったり、解決策が見いだせたり、助けてくれる人と出会ったりする。



もう少しでコトが成る

一生懸命やっているうちは、このもう少しがいつなのかわからないし、そもそもそんな気持ちの余裕もなかったりする。
無意識無我夢中だから。
けれど、ふとした時やめげそうになった時やはたまた立ち止まってしまう事態に遭遇した時など、要はなんだかうまくゆかない兆しを感じた時に、ついつい人は考えてしまう。

その時に
もう少しだ…と身を奮い立たせるか
もう駄目だ…とあきらめてしまうか
人生は選択の連続だ

やった人にしか見えない景色がある
辿りついた人にだけ見える景色がある

この先のこのカーブを曲がったら…
この壁をこえたら…
もう少しで辿り着くはず
と思えるかどうかだけど、
もう駄目だとあきらめる自由もあるけど、
もう少しで辿り着くはずだと思う自由もあるはずだ。


世界を変えるには、まず自分が変わることだ。
あきらめていた自分が変わる事ことで、変わる何かがあるかもしれない。


もう少し
もう少し…
もう少しでコトが成る

積み上げてきた道をふりかえると、うまくゆく時は、運がよかったのだと思う。
そうとしか思えない出会いや事柄に満ちあふれていた。
うまくゆかない時は、自分に何が足りないかを突きつけられていると考える機会だ、もしくは、時期が違うのかも。

だから、運を手にするには
もう少し
と呪文を唱える。
来るべくその瞬間に幸運の女神と立ち会うために
よりよくなると信じること、よりよくなるように努力することだ。



一寸先は闇でも、その一寸先が闇だとは限らない。
だから、ぼくはその一寸先に手をのばす。











2017.8.29
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 02:36 | - | - |
2017.08.01 Tuesday
美しい唐紙がある暮らし
美しい唐紙がある暮らし.JPG

時折、お客さんの家に行くことがある。
近頃は、唐紙はもちろんのこと、襖や壁紙をはる表具仕事はもちろんのこと、家やマンションの改修や造作、家具などの仕事も受ける機会がふえ、雲母唐長の仕事は唐紙をベースにしたインテリア全般に広がりゆく。

先日、六甲にあるご夫妻の家を訪れた。
初めて唐紙の相談を受けお会いしてから1年ほど経つだろうか…
今、そのご夫妻の家には、リビング、ダイニング、和室の天井、建具、壁面、床の間…随所に唐紙がある。

ご夫妻の暮らしに初めて触れたときは、至るところに趣味趣向の香りがちりばめられていて、居心地の良い家だと感じた。それは仏像や骨董から感じられるぼくの好みの波長からくる安堵感という訳だけでもなく、人間として好きなモノへの美意識がある人への安心感でもあった。
人間の好みは千差万別ではあり、そのこと自体は自由でよいが、自分の好きなものがある、好きなものがわかる人がぼくは人として好きだし、面白い。

随所に唐紙のある暮らしに多くを語るでもなく、ご夫妻は、ただニコニコと微笑んでいる。

和室で寝転ぶためにつくった天井をみるために、失礼して、ぼくは寝転んだ。
あぁ…こういう景色かと思うどおりのところと思う以上のところがあり、面白い。
奥さんが主人は毎日そこで寝転んでいますよとか
建具を閉めて部屋に籠っているんですよ…と笑っている。
ご主人は1日1回は、必ずここに寝転んでいると笑っている。

唐紙の美をどうこう語るのではなく、ただ美しい唐紙のある暮らしに微笑んでいるご夫妻を見て美しいと感じた。

帰り際に、奥さんが、私が大切にしているモノといって見せてくれたモノがあった。地母神だろうか…手に入れた際についていた埃もそのままとらずに大事にしていているのと嬉しそうに語る。
それは唐紙が好きだと話す時と同じような表情だった。


こういう人たちに愛されてこそ、手仕事の陰影とゆらぎは生まれる。板木らしさ故のその滲みや掠れとともに江戸時代から時を越えて、今を生きる人間の精神性のゆらぎとともに甦った気配のある唐紙は、時代の空気を纏い、愛され次の時代へと残ってゆくのだと思った。


愛おしんで手がけたモノを、愛おしんでくれる人のもとへリレーできるしあわせ。











2017.7.31
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 03:11 | - | - |
2017.07.18 Tuesday
モノに宿るもの
モノに宿るもの.JPG

モノに時間が刻まれる際に宿る何か…
その何かをいつも追い求める
その何かは佇まいとも言える
そして、その佇まいにこそ、ぼくが求める美の秘密がある

記憶は、いつもその感覚のより深いところに在る

つくったモノは弱く、生まれたモノは強い…
何度この言葉を呟いただろう

50年、100年…と永きに渡り人々の記憶と寄り添えるだけの強さをもった唐紙でありたい。


本来、日本人はモノの中にカミさまを見た。また、モノを通してカミさまを見てきた視力があった。
だから、ぼくは唐紙というモノにタマ(魂)が宿ることを願い、信じて今日も生きている。











2017.7.17
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 01:49 | - | - |
2017.04.30 Sunday
写真家菅原一剛×唐紙師トトアキヒコ(ライカギャラリー京都)
KG+ 2017 アソシエイテッド・プログラム.JPG

光の交響曲

唐紙は、祈りの風景です。
人々の祈りや願いの物語がこめられたカミさまの宿る美しい風景を、ぼくは唐紙と呼びます。
また、唐紙は、光の文化とも言えます。
最上の唐紙の美は、陰影のゆらぎが放つ静かなる気配に在ります。
初めて菅原一剛さんと会い、その静かな気配が佇む写真を見た瞬間にこの人とは何かあると直感しました。
ゆえに一緒に作品ができないだろうかとの相談には考える必要もなく即答でした。
今回のコラボ作品は、自我や意図を越えた祈りの世界が奏でる音の世界だと思います。
写真という光と唐紙という光の交響曲に、見る人はきっと、静けさに宿る光の音を感じることでしょう。
2017.春 唐紙師トトアキヒコ





できあがりを見た感想を東京にいる菅原さんから聞かれたとき
ぼくはこたえました。

蠢いている。

と。

実物の光をぜひ、みなさんその目でご覧ください。
5月14日までライカギャラリーにてご覧になれます。

「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」
KG+2017 アソシエイテッド・プログラム

会 期: 2017年4月14日(金)〜5月14日(日)
会 場: ライカギャラリー京都 2F 特設会場











2017.4.30
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 23:59 | - | - |
2017.03.20 Monday
和ガラスの美を求めて -瓶泥舎コレクション- × 気配として在る唐紙
瓶泥舎コレクション・千鳥.JPG

2017年は、怒濤の出出しでした。
2月3日、4日、東京ホテルニューオータニで伊勢丹「丹青会」にて新作品披露
2月11日、12日、東京ホテルニューオータニで三越「逸品会」にて新作品披露
3月1日〜7日までは、伊勢丹新宿店本館5階で雲母唐長のポップアップストアー開催
そして、3月17日。
MIHO MUSEUMで開催される展覧会のレセプションに参加。

和ガラスの美を求めて -瓶泥舎コレクション-
瓶泥舎さんの素晴らしいガラスコレクションの背景として、今回の展覧会の会場に37メートルに及ぶ唐紙を手がけさせていただきました。

依頼を受けてから会場で実際のコレクションと唐紙がどのように交わるかを見るまでの緊迫した空気と時間は自分の中でもこれまでにない体験であり、唐紙師としてまた一つ歩みを進めることができました。

比類なき日本一のコレクションをやさしく包み込む唐紙とはどんなものか?
会場構成の打ち合わせやディスプレイ予定、配置などいろいろ頭にいれることはあれども、配置や構図を考えれば考えるほど、考えは深まり、わからなくなり時間はせまる中、結局、ぼくが辿り着いた境地は、

意図せぬことを意図すること

でした。

実際にディスプレイがすすみ、現場で人の手や考えが入り、照明の加減、微妙な空気の差配などは1から100まで自分がするものではなく、たくさんの方々の不揃いであり未確定な要素の集まりの中、モノゴトは進行してゆきますが現場はみんなプロフェッショナルの精鋭たちです。自分はベストを尽くし、あとは委ねるなかで意図せぬこともまた意味があるのだろう、と考えました。
しかも今回は、ぼくの作品展ではなく、あくまでも主は瓶泥舎コレクションです。
だから、静かな気配としていかに在るかということです。
そういう唐紙が生まれれば必ずや、うまく融合すると考えました。

瓶泥舎コレクション・観世水.JPG

唐紙は、祈りの風景です。

いつも述べていますが、ぼくにとって唐紙は、カミ宿る紙な訳であり、そこに人の記憶や思いが物語として紡がれて来た歴史が宿ります。一方、今回のガラスのコレクションもまた多くの願いや思いを宿し、大藤ご夫妻の手により命がけで今日この日まで守り愛されてきたものですから、最終、必ずや調和することは手探りながらも、どこかでは見えていました。その上で、ぼくが目指し、日々探求する白に白の陰影がゆらぐ最上の品格ともいえる唐紙を主に披露することにしました。
ぼくには、おかげさまでどうにも強烈にブルーのイメージが浸透しており、ブルーの唐紙=トトアキヒコとなっていますが、実はこれまで、それ以上にお客さんに求められ数百数千と世界に届けてきた唐紙はキラの陰影による白に白の唐紙です。
白に白の唐紙は理想として追い求める唐紙の景色があります。

ぼくが探求する美しい唐紙とは3つの要素が存在しています。

陰影の美
余白の美
不揃いの美(未完の美)

未完の美とは手仕事のゆらぎということと
見る人の心の中で完成するということです
今回の会場でいえば、
一見、みすごしてしまう無地に思えるところに実は桜の花が舞っていたり、千鳥が飛翔していたりしますし、随所でそのことが試されています。
わかりやすく見えるもの、わかるものがこの世の全てではありません。

だからこそ、心の眼で見て欲しいとの願いをこめました。

瓶泥舎コレクション・雛と桜.JPG
瓶泥舎コレクション・桜.JPG

今回の会場では37メートルに及ぶ大壁面において、3つの要素を存分に生かした最高のお披露目となりました。

圧倒的な大画面における余白の美は、挑み甲斐があり、おそらくここまでのスケール感で余白の美を描いた唐紙は初めてではなかろうかとも思います。文様のない無地の部分もみな全部、単なる無地ではなく一手間加え手仕事で染めました。
ごくごく淡いうっすらとした刷毛目が浮かびでるようなキラ染めをしています。
それによりキラの陰影が乱反射し、やさしい空気感を生み出すのです。
ベタっと染めると印刷っぽくなるし、刷毛目が強すぎると、いかにもあざとく見えていやらしい。手仕事のゆらぎで、ほのかな気配としてキラを乱反射させるということを試みて全ての唐紙を染めています。

雛道具コレクションのところでは、お重の唐紙をイメージして白に白の陰影のトーンによる市松の陰影を手がけたのですが、コレクションと相和すとそれはそれ愛らしく美しい、遊び心あるディスプレイとなり、必見です。

瓶泥舎コレクション・市松の流水.JPG

また、会場終盤では、なんと!絵師酒井抱一×唐紙師トトアキヒコがあります!
酒井抱一の「波図」二曲一隻の屏風には、陰陽をテーマにした流水の唐紙を組み合わせました。
流れるようにネガポジになるように唐紙を配し陰影による陰陽を表現、そこにぼくがこめた願いは、多様性こそ価値であるという概念です。
流水の唐紙に一つ浮かぶガラスの花が光を放ち、絵と唐紙を結び強烈な磁力の美を宿しました。

瓶泥舎コレクション・抱一とトト.JPG

唐紙は、美しい光の文化です。
ガラスを通じて人の思いや物語を紡いで来た光の文化と
唐紙を通じて人の想いや物語を紡いで来た光の文化が
相交わる素晴らしい会場は、光のコラボというだけではなく、それぞれが有してきた時間軸のコラボでもあります。

モノはモノだけでは続きません
文化も伝統も技術もそうです
それを愛でる人間がいてこそ
何かが続くには続ける人がいてこそだと強く感じる会場でした。

会場には、神さまからのご褒美がありました。担当の学芸員さんからは、よくぞここまでしてくださいましたと最高の労いの言葉をいただけたばかりか、関係者の方々のご配慮により、ショーウインドーの中に美術コレクションとともに、唐紙師トトアキヒコの名が刻まれています。
必死に命がけで向き合った仕事は、必ずや報われるという瞬間でした。

瓶泥舎コレクション・トトアキヒコネーム書き.JPG

美を通じてさまざまな時間のコラボがMIHO MUSEUMの光に包まれているだと思い、とてもとてもしあわせな時間をすごさせていただきました。


一人でも多くの人にこの素晴らしい瓶泥舎、大藤さんの心あるコレクションを実物が放つ気配とともに観ていただきたいと思います。



和ガラスの美を求めて -瓶泥舎コレクション-
会場:MIHO MUSEUM
会期:2017年3月18日から6月18日











2017.3.19
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 01:09 | - | - |
2017.02.15 Wednesday
新しい舞台に立つ
新しい舞台.JPG

新しい景色が見たければ
新しい舞台に立てばいい

何かを変えたければ
新しい場に身を置いてみることだ

新しい世界と出会うためには
まずは自分から一歩踏み出すこと
そして、まだ見ぬ人と出会うこと

新しいとは過去を単に否定するものではない
今、ぼくたちが未来に向けて前進すること以上に過去を讃える手段はあるのだろうか

いつも唐紙の新しさを探し求めている
今のぼくだからできること、今のぼくにしかできないこと
昨日より、より良くなるように新しさを探し求める
今を生きる唐紙
今ここ、が、即ち伝統である




今日は吉報が届いた。
およそ一年かけて、ようやくこの吉報を手にしたことになる。
新しい舞台に立つためには、まずは自分が変わることだ。











2017.2.15
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 22:16 | - | - |
2017.01.15 Sunday
新しい祈りの風景
新しい祈りの風景.JPG

新しい年をむかえ、今年も唐紙を通じて心ある人たちと出会い、通じ合う時間と日々を愉しみにしています。


元旦から心身粉にして唐紙の美と向き合う毎日です。
頭の中でも日常と制作の振り子が揺れ動き思考が生まれてが消え…現れては遠のき…
今日の京都は大雪。
ある人にメールをした。

真っ白な雪の日に純白ならぬ"純青"の心をもつ人
と評されたメールが返信されてきた

この人に背を押していただいたあの日があるから、今のぼくがあります。


トトアキヒコは、二次元の世界だった唐紙を三次元でもなく四次元にした…


2008年から試行錯誤しはじめたしふく刷りの表現による唐紙を思い切って2009年に大きな作品として世に披露した
「朝靄に舞う桜に宿る青」
この青い桜の作品をみた時にその方がくれた言葉であり、美術館の学芸員としての寸評でもある。

目に見えぬものに祈りを宿したぼくの作品の意図が初めて言葉に表現された日でした。



あの日から8年。
ぼくの唐紙作品がどう進化したのか。
2月の第1週と第2週、3月初旬に東京にて新作披露があります。

新しい唐紙の世界、トトブルーに込めた祈りの風景を見せたいと思います。











2017.1.15
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 22:43 | - | - |