唐紙師トトアキヒコ
Karakami-shi・Karakami artisan・Blue art Japanese culture and innovation is beautifully captured by Kirakaracho, the only Karakami atelier since 1624.

トトアキヒコInstagram
totoakihiko_kirakaracho


唐紙師。平安時代から伝わる唐紙文化の伝統を継承しつつ、現代の世にアートとして唐紙の新しい道を切り拓いた。詩情が宿る深淵なる青い唐紙作品は「トトブルー」と愛され、青の芸術、青の作家とも呼ばれる。
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唐紙師トトアキヒコのブログ(2008年5月〜2013年6月)

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雲母唐長/唐紙師トトアキヒコが奏でる光と音「雲母唐長美術館」への軌跡
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2022.12.31 Saturday
カケラ


人生はずっと選択の連続だ。
今年、高みを目指すことを人や環境などを理由に左右されて諦めたくないからある選択をした。
これまでの道はまだ続いているようにも見えたし、実際その道をまだ歩くことも可能だったのだけど、その道を道なりに歩いてゆくという選択をやめた。この選択が何をもたらすのかはわからない。ただ、道は自分で選びたいと思った。歩いても走ってもいいし、泳いでもいいし、潜ってもいい。自転車でもいいし、何か乗り物にのって飛びながら進むのでもいいし、船に乗り航海するのでもいい。目的地に向かって何でどうやって誰と進んでゆくのかを自分で決めたいから何かを理由にして誤魔化すのはやめた、他者や周囲に引きずられることなく進みたいと願うのは世間ではワガママとも言うらしい。しかし、自分の道は自分がつくるものだし、人生という物語は命ある限り続くし、命尽きても伝承される仕事をしているのだと矜持を抱きぼくは毎日生きている。

それでいいじゃないか。

青臭かろうが、果てしなかろうが、夢や理想を持ち志を抱き生きることに、ぼくはしあわせを感じる。
そして、唐紙をつくることに。



何を選ぶのか、何をするのか、誰とするのか、何にこの限られた人生時間を投資するのか。
選択の正解はいつもわからないけれど、選択した道が正しかったのだと思えるように歩みを進めることしかない。うまくゆかず、もがきながらもダメなときもあるし、間違ってしまうこともあるが、それはその失敗の中や過程になんかしら意味を見つけるという正解の種を見出すべきなんだと思う。
無理にしあわせなふりをする必要もなく、楽しそうに振る舞う必要もない、辛い時は辛くてもよいのだ。ズタボロになっても、徹底して自分と向き合った時に残るカケラを見つければよい。
きっと、見つかる。
だから、自分のことだけ考えればよい。
けれど、そのカケラが誰かのため、世界に役立つのであれば、しあわせだなぁと思うし、意味があるんだと思う。

ぼくはそう思いたい。










2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 20:07 | - | - |
2022.06.05 Sunday
平安時代と令和の祈りのカタチ


前々から頭をかすめては通り過ぎてきた心象風景をようやくカタチにする機会が訪れました。
霊峰富士山を唐紙として顕すことは、ぼくのやるべき仕事の一つであり、今まで何度か試みたことはあるのだが、世に出すには至らず、思考錯誤してきたのですが、ある日、MIHO VILLA(吉村順三設計の迎賓館)の床の間に飾るための作品オファーが届き、ぼくはこの機会に、覚悟を決めて富士山へ挑むことにしました。

ぼくには、記憶に残る大好きな仏像があります。
唐紙にアートの道を切り拓こうと歩みはじめたばかりの頃、その志を、いち早く認めてくれたのがMIHO MUSEUMであり、2009年に初めて唐紙史上初めて、唐紙がアート作品として美術館に収蔵・展示されました。その展示作品となった「inochi」は、最後から2番目の場に会場構成として展示されていました。作品「inochi」を観た次に暗がりの部屋があり、薄明かりの中に静かに微笑む仏像があったのです。ぼくはその静かな美にどれだけ心を癒され、そして力をいただけたことか…当時はまだ、伝統工芸であった唐紙を、和室や襖などの枠を取っ払い、美術(アート)として自由に解き放つことに周囲は懐疑的であり、ぼくの思想や唐紙に対して、反発したり批評したりする人に心を痛めている時代でした。そんな中で、初めての快挙となった美術館での作品展示に、ぼくはいろいろなことを重ねて自分の作品を眺めていた訳ですが、そんな中で出会った仏さまに、当時のぼくはとても救われた気がしたのです。その頃からでしょうか、現世でああだこうだ言われても、必ずしもその人たちの意見や考えに左右される必要がないことを知りました。NOと突きつけられることは、辛いことではありましたが、歯を食いしばり、自らを奮い立たせて歩み続けるにおいて、その後の人生においても一緒にいたい、笑い合いたいと思える人を見分ける機会でもあった訳です。誤解を承知で極論を言えば、神さまや仏さま、先祖は見てくれているのだから、お天道さんに向かって自分の信じる道を歩めば良いのだと。今の評価に右往左往するのではなく、やがて時代が判断するであろうと。この頃からぼくは強くなれたのです。
そして、こうも思いました。ぼくに唐紙師としての天命があるとするならば、間違いがあれば神さまが道を正すだろうし、そもそもオファーもこないだろう、だから、自分を信じて貫こうと。
その頃から今までぼくに唐紙のオファーが途切れたことなく、ぼくは自分の信念と祈りを込めた唐紙を数百、数千…とこの世界に届けています。

この作品は、トトブルーと呼ばれる祈りの青の世界に煌めく光の波紋、その祈りの光を背景にしてぼくはその忘れられない仏像を飾る風景を思い描きながら生まれました。いにしえと今、平安と令和の祈りのカタチの共演を願いました。
ぼくが心の底から見たいと願った仏とミズハを融合させた風景は、今、この世に存在しています。
作品「ミズハ(富士山)」は、12世紀の平安時代の観音立像(興福寺千体仏)の背景に在るのです。




作品:ミズハ(富士山)
富士は不二にも通じ、古代より日本人の心の拠り所となってきた聖山です。桜の化身であるコノハナサクヤヒメを守護神とする由縁から桜文様をしのばせ、昇天する龍と共に荘厳された純白の霊峰は、二つとない、唯一無二の輝きを放ちました。清めの霊性エネルギーをもつ渦の重なりに満ちた富士の山が静かに輝きをましながら、生まれるときには、ぼくの心にはある歌が在りました。

なにごとの おはしますかは しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる
(西行)

カミなきこの世にカミを呼び覚ます。
唐紙を通じて、東と西の世界を繋いで世界の平和を祈ること。
この作品は、祈るように生まれ、この世に顕れたものです。
そもそもぼくの唐紙は、偶然と必然、意図せぬことと意図がせめぎ合い、絡み合い螺旋を描き混ざり合い、重なりあうなかで混沌の世界から光と影を見いだすことに命を削っています。そこから生まれた陰影のゆらぎに、あたかも縋るように祈りをこめてゆくのが、モノづくりのプロセスとしてあります。

いつも、その最後の瞬間は祈るしかないのです。

技術や作為を超えたとこにある何かに触れたいと思い目指した未完の美ともいえる気配ある唐紙の世界は、陰影やゆらぎと共に見る人の心の中で完成します。
そこにはないのだけど、在る…の、ようなもの
それが、ぼくが目指す美しい唐紙です。
(2022年1月/唐紙師トトアキヒコ)








2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 20:40 | - | - |
2022.02.06 Sunday
未来に遺す唐紙


ぼくは、文様は未来へ遺す種だと思う。ずっと、唐紙は単なる紙ではなくカミ宿る紙であると伝えてきたが、こういう時代だからこそ、あらためてそのことに意味があるのではと感じる。

『僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもらいたいということではないんです。100年後の未来には、未来の人が生きていて、暮らしていて、その時代の空気というか、そこにはそこの色んな想いや祈りがある。時代はこれからも変わり続けます。人が何をどう感じるかということや、物事の見え方や解釈もその時代ごとに移り変わるものだし。それらを受け入れる余白が必要だと思うのです。どう育つかわからんことも含めて、完成形ではなく「種」なんです。その100年先の時代との「共同創造」をしていく種をいま残す、ということ。それが伝統なんやと僕は思う。』


2020年に京都国際映画祭ARTプログラム/よしもとアーキグラム 『宇宙で茶会を開いたら』〜雲母唐長と、宇宙の「芸術利用」-協力JAXA- に参画したところ、NASAとぼくの作品がコラボしたことで驚きの声と共にさまざまな反響が寄せられました。2021年度の京都国際映画祭ARTプログラム/よしもとアーキグラム「地球は、ひとつの生命樹」にも参画し、興味深いインタビューとなりましたので、記録のために、このブログにも記しておきます。

■唐紙師 トトアキヒコ氏
100年先を生きる人と共同創造するために。
未来への「種」を残します。

>>語弊を恐れずに言うと、むかしの日本人は現代人より「おめでたく生きる」のがうまかったような気がします。
縁起を担ぎ、植物の文様を通して、日常の暮らしのなかに吉祥を持ち込み、ほっとしたり、前向きになったり、ポジティブなマインドセットを設定するのがうまかった。験の良さにあやかる力に秀でていたような気がします。

ずっと唐紙師として仕事をしてきて、2013年頃かな、あらためて、「吉祥には、なにかがある」と感じて、「文様は祈りの風景である」という境地に辿り着きました。その後、文様には意味や物語があると提唱するようになったのです。
日本語には、「言霊」というものがあるけれど、それとはまた別の力というか・・呪術的なというか・・「人知れず伝える」という部分が吉祥文様にはあるな、と。
装飾的に見てきれいやなというだけやない。言葉ではなく伝わる「暗黙知」というものが、そこにはある。「うちの文様には人をしあわせにする力がある」と呪文のように口ずさんでいます(笑)。

>>最近は、『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』など、目に見えない力が活躍するアニメが大人気ですけど、日本の文様もそういう目に見えない霊力が宿っているということですね。アニメでは、闇の霊力にスポットが当たりがちな気がしますが。
それで言えば、唐紙は、霊力の光の部分やね(笑) 「縁起」って、今の言葉で言えば、「アセンション」っていうか。そういう異世界へのスイッチみたいなところが、吉祥文様にはあると思う。

>>人を光にシフトさせる異世界へのスイッチですか。

なかなかコロナ禍が収まらないけど、コロナは僕らに考える機会を与えたと思う。何がほんまもんか。何を選択するのか。何が自分の人生に価値をもたらしてくれるのか。真剣に考える時間と機会を社会にもたらしたとも思っています。
社会の在り様が変わり、ガラガラと音を立てて消費構造も変わり、格差が広がり断絶される社会のなかで、しばらくは人間社会は右往左往しそうですが、不要不急という言葉が頻繁に繰り返される社会において、僕たちのような芸術や文化に携わる仕事が不要不急だと言われる世の中になったとしたらゾッとするね。
幸い、ステイホームで家にいる時間が増えるなか日々の暮らし方や時間に目を向けるようになり、自分の空間を大事にしたいと思う人たちも増えたようで、自分の空間を守りたいからと声がかかることも増えましたが。

>>縁起のいい文様を、ふすまや部屋のしつらえに取り入れて、不安なご時勢から自分を守ろうという人も増えたのではないですか。
衛生的に徹底して「身体を守る」だけでなく、未来への不安から解放され「心の平安」を担保したり、祈りの文様に包まれて「霊的にも守られる」という拠り所がないと、本当の意味で免疫力の活性って望めないのかもしれません。日本人はそのスイッチを入れるがうまいというか、もしかしたらそれがファクター召砲盍愀犬靴討い襪里もしれません。

平成の時代には平成の祈りが、令和の時代には令和の祈りと想いがある。「よりよくしよう」「よりよくなるように」と他者に想いを馳せ、祈りを捧げ手を合わせるのは、人の姿としてとても美しいものだと思う。
伝統というものは受け継ぐだけのものではなく、その美しさの在りようも含めて未来への「種」として伝えていくこと、伝え続けていくことだと僕は思う。
江戸時代から代々受け継ぐ600枚を超える板木を継承すると共に、いまここにある現代の祈りを100年先の未来の人に伝えるために、今を生きる人たちと共に新しく文様を創り、新しく板木も作りました。100年後の人々に僕らの「今」を知ってほしいと平成が終わる年に始めたのが、平成-令和の百文様プロジェクトです。

>>未来への「種」とおっしゃいましたが、なぜ種なんですか?

僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもらいたいということではないんです。100年後の未来には、未来の人が生きていて、暮らしていて、その時代の空気というか、そこにはそこの色んな想いや祈りがある。時代はこれからも変わり続けます。人が何をどう感じるかということや、物事の見え方や解釈もその時代ごとに移り変わるものだし。それらを受け入れる余白が必要だと思うのです。どう育つかわからんことも含めて、完成形ではなく「種」なんです。その100年先の時代との「共同創造」をしていく種をいま残す、ということ。それが伝統なんやと僕は思う。

>>そのときどきの時代精神とのコラボレーション。それをする「種」を残すというですか。

そう。以前、10年以上前ですが、フランスのルイヴィトンが、アトリエを訪ねてくれて、ある文様を見て、ものすごく反応されたんです。それはとても西洋的な文様なんです。「これは誰がデザインしたのか?」と聞かれたんです。僕は板木を見せて「江戸時代です」(笑) 江戸時代の精神が、その文様を産んだんですと。彼らのメゾンの歴史のはるか昔に、その優れた文様が存在していたことに驚かれていました。こうやって文様は、西と東を往来しながら人々の想いや物語を紡いできたのです。文様は民族も国も、そして時代をも超えて旅をしていると言ってよいでしょう。僕は、これらの文様を通じて西と東を結んで世界を平和にしたいと願っているのです。

人の祈りが折り畳まれている文様には、なんやわからんけど、体温があるんです。先人が、そのまた先人も、ずっと祈ってきたんやと。それを受け継いで来た光には、ぬくもりがある。人間を介さない伝統なんてないわけだから、今を生きる人間として未来にそのぬくもりを伝え続けていくことが、伝統なんやなと思う。

>>その祈りのぬくもりを暗黙知としてつないでいくことが日本人のサスティナビリティにつながるのかもしれません。

出典:2021年京都国際映画祭ARTプログラム よしもとアーキグラム「地球は、ひとつの生命樹」
『雲母唐長』の植物文様 X 植物の声を聴いてみた(澤野新一朗)(トトアキヒコインタビュー掲載記事より)










2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 17:55 | - | - |
2022.01.04 Tuesday
寅年のはじまりに


昨年一番記憶に残ったことは、3000人の文化講演会でした。あの日の会場の気配と拍手は忘れ得ない記憶として今もぼくに力を与えてくれます。物事を成すにあたり、100%、万人の支持を得るというのは難しいことかもしれませんが、一方で100%の否定もないはず。志ある行動は、やり続けていると必ず理解者や賛同者が生まれてきます。
至弱もやがては至強へと至る。
ぼくは全くのゼロから唐紙をはじめ、己の道を切り拓いてきました。この経験値は、次の未来へと唐紙を伝えるにおいて必ず役に立つはずです。


長引くコロナ禍は、ぼくたちに何がほんまもんか、何を選択するのか、何が自分の人生に価値をもたらしてくれるのか?真剣に考える時間と機会を社会にもたらしたとも思っています。唐紙文化のオリジンやほんまもんを探した人が源流を求めて雲母唐長に辿り着いたとき、キラキラと清らかな存在であるように精進せねばならないと強く強く思う毎日です。


唐紙師としてこの世に唐紙を届けるようになってから、挫折しそうな時はいつもこう考えていました。
もし、神さまがいるとすれば、ぼくの考えや志に間違いがあるとするならば、神や仏やご先祖さんは、このぼくに唐紙をつくる機会を与えないだろう。ぼくを訪ねてオファーがあるということは、この存在とこの手から生まれる唐紙は「是」である。だから、いつもお客さんからオファーをもらう度に、この世界から肯定されているんだと思い続けて、今日まで1歩1歩、1日1日、毎月毎年、生きてこれたのです。おかげさまで、唐紙のオーダーがこれまで途絶えたことがありません。年始に今、抱えているプロジェクトを整理しながら、あぁ、ぼくは唐紙を今年も手がけることができるんだと、感謝と喜びを噛み締めています。
モノづくりは、つくり手のエゴだけで存在できません、対象者がいます。それはオーダーをされた顔がわかるご本人さんはもちろんのことですが、店舗や施設などに飾られるアート作品の場合は、そこに関わる人や、そこを訪れた人などまだ見ぬ人たちとなります。どちらにせよ、ぼくのエネルギーや世界だけで完成するものではありませんし、そういうモノづくりは目指していません。人と人のコミュニケーションの狭間にモノは存在し、そこに物語が宿ります。
理想とする唐紙は、いつも、未完の美です。見る人の心の中で完成します。

今年も、ぼくは自分の信じた道と、ぼくを信じてくれる人のために、お天道さんに向かって唐紙に祈りを宿し、この唯一無二の手仕事を届けたいと思います。










2022.1.4
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 23:46 | - | - |
2021.04.04 Sunday
Universal Symphonyという奇跡の唐紙
Universal Symphonyの奇跡

作品「Universal Symphony」について講演会をしました。
これまでの人生でこれほど多くの方々から温かな拍手を受けたことはありません。
音の記憶は消えないもので、目を閉じると、今も聞こえてきます。
今回、特に意図したことは、未来を担う若い人たちや、これからコトを為そうとする人たちに向けてのメッセージです。諦めない力とは何か、信じる心の大切さを一人でも多くの人たちの心に種を蒔こうとしました。

何かが叶うから信じるのではありません、信じるから叶うのです。

この2つは大きな違いがあります、一方は人任せで受け身であり、一方は主体的で自分自身の問題です。信心というものは、どこかに転がっている訳でも他人が持っていて渡してくれるものではありません。明珠在掌です。何かを叶える力や世界を動かす力は、既に自身の掌にあるものです。そのことをぼくは未来を担う若い人や子ども達や、何かを為そうともがいている人たちへのメッセージとして届けたのです。


唐紙は祈りの風景です。
この十数年の月日を経て、今や唐紙というモノが語りはじめたんですね、ぼくの代わりに。
あちこちでぼくが込めた祈り、すなわち唐紙が大きな影響力をもつようになり、いつしかパワーバランスが変わり、時代は変わりました。伝統工芸であった唐紙に、世界平和を唱え、唐紙の歴史に初めてアートの道を切り拓くという試みは、12年ほど前のことです。その本質を理解しない人たちから、当初批判や馬鹿扱いされたことは確かにぼくの心を突き刺しましたが、今となれば通るべき道だと捉えています。孟子が言いました。天からの大仕事をその人に任せる時には、まず、必ず大きな苦境に陥らせる、という言葉が素直に受け入れられるようになりました。その人間が本当にやりぬく心があるかどうかを問い正す為です。その後は、聖書にもあるように「わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることができる。」という境地です。道を歩み続けると、ある時を境に風向きが必ず変わります、その時をちゃんと捉えられ想念を昇華させれば、時代が変わるのです。今回の講演会やビデオ講演会、配信などを通じ、ぼくの話が、あっという間に、万の人々へと届けられることになり、その人たちから怒涛の共鳴を得たということが、正しい志というものはやがて力を持つということの証明だと感じました。何かを変えたり、第一人者となるには、圧倒的に自らが行動し、社会の仕組み変えるぐらいの気概が要ります。実際、それは口で言うほどそうそう簡単なものではないし、やった人間にしか見えない景色ですから、やっていない人たちから否定されるべきものではありません。
あの日、ぼくが自分を信じることができずに周囲の声に流され心がくじけていれば、今の立場と仕事はなかったでしょう。そして、あの日、唐紙を通じて世界平和を唱え初めていなければ、世界平和のための作品オファーも存在しなかった訳です。史上初にして世界最大の唐紙アート作品「Universal Symphony」は、今、この世に存在しなかったことになります。「Universal Symphony」は、太陽と月と未来の地球からなる光の道を顕し、世界平和を祈り生まれたこの時代の奇跡の唐紙だと考えます。22690人の方々としふく刷りで染めた尊く清らかな青い世界は、これから世界へと扉を開くことになるでしょう。

人類は、飢えや貧困、差別に環境や食糧問題、経済格差、絶えない紛争と戦争など様々な問題を抱えています。実際に唐紙で空腹は満たされないし、ミサイルや銃から守ることはできないかもしれませんが、祈りを込めた唐紙を届けること、人を守る力が込められた文様を世界に届けることが、無意味なことだとは思いません。
本当の美は人をしあわせにする力が必ずあります。
世界を救う力があると、ぼくは信じきっています。

人間社会にいつまでも残るものは、信仰、希望、愛の3つの祈りです。
ぼくは自分の信じた道と、ぼくを信じてくれる人のために、お天道さんに向かって唐紙に祈りを宿し、この生涯を捧げたいと思います。










2021.4.4
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 23:26 | - | - |
2021.01.11 Monday
美の力と遠くを見る視力(チカラ)
美と遠くを見る視力

「文様は、祈りの風景である」という言葉は、唐紙師トトアキヒコのフィロソフィーとなりました。
祈りは、一般的には目に見えませんが、祈りが文様というカタチに置き換えられてそこに潜んでいるとすれば、文様に潜む祈りの影を光として今を生きる人たちの眼前に差し出し、または世に顕して伝えることが、ぼくにとっての唐紙です。単なる装飾紙ではなく、カミさまの宿る紙として唐紙を伝えるようになったはじまりです。本来、日本人はモノの中にカミさまを見る。また、モノを通してカミさまを見てきた視力がありました。だから、ぼくは唐紙というモノにタマ(魂)が宿ることを願い、伝わることを信じています。

出典:トトアキヒコ・千田愛子『人生を彩る文様』(講談社、2020年、唐紙師トトアキヒコ文様ものがたり98ページ)


世界平和を祈り生まれた史上最大の22メートルに及ぶ唐紙アート作品「Universal Symphony」が信楽の美術館MIHO MUSEUMの2021年Diaryの装丁となりました。この作品は、ぼくの志に呼応していただいた22,690人の方々と共に手がけた作品です。美しい青が煌めくDiaryとなったことで、多くの方々へ、作品に込めた美と祈りが届く機会を得たことを嬉しく思います。
不要不急という言葉が頻繁に繰り返される社会において、ぼくたちのような芸術や文化に携わる仕事が不要不急となるような世の中が来るとなるとすれば、ゾッとする。
美が要らない、また、届かないような世の中になれば、ますます社会は崩れ、乱れてゆくだろう。こういう時こそ、美の力が必要だと思う。そして、こういうときこそ、信仰心が問われるのでは。
何かを信じることは、人間の弱さであり、強さでもあるのだから。
ぼくは、唐紙の力を信じている。美や文様の力は、人々を守り、癒し、時に力を与えるのだ。

不安に煽られ、経済が滞り、感染者終息の目処が見えない中、効率と生産性を追求し大量生産大量消費してきた画一化された消費社会の形や既存の社会の価値観が急激に変わるなか、人々は戸惑いながら、いろいろなことを考え直す時間を得た。衣食住や政治、経済、環境やエネルギー、世界との関わり方などあらゆることが、これまで通りにはならない機会が、今、訪れた。
だからこそ、尚のこと、今こそ、未来を語らなければならない。
それには、遠くを見る視力(チカラ)が問われる。
今は、目先のことで一杯一杯でそんなこと考えられないということもわからなくはないし、非難を受けるやもしれないけど、それでも遠くを見ようと、敢えて言いたい。今を凌ぐ行動を優先するなかでも、未来への思考を止めてはいけない。子や孫の世代に、ぼくたちはどんな社会を残すのか、未来の地球に何を遺すのかを考えることを放棄してしまってはいけないと思う。今の行動は全て先へと繋がりますから、今、選択したことは、未来の選択と言っても過言でありません。後のことは、後の人が考えたらいいことだから自分は知らない、という無責任な行動が何をもたらすかということをちゃんと考えれば、自ずと行動は変わるのだけど、悲しいかな考えない、もしくは、正確に言えば考えたくない(責任を取りたくない)という未来なんて語らないという世の中が進めば、恐ろしいことになる。未来を諦めることは、すなわち、希望を失う、捨ててしまうこと。夢や希望だなんて青臭いと言われようが、人に何を言われようが、ぼくは、ぼくのやり方で希望の種を蒔き続けることを、あきらめないし、唐紙には、人を幸せにする力があると信じています。

「穏やかで静かで、強い。」

そんな唐紙を生み出し、その力で世界に成すべきことが、きっと、あるだろうと、あらためて思った2021年の始まりです。利他と自制が問われる今、みなさんが心おだやかであることを祈り、心静かに唐紙と向き合う毎日です。
どうかご無事でいてください。

美と遠くを見る視力









2021.1.11
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 15:27 | - | - |
2020.11.17 Tuesday
Light of the Sun × Universal Symphony
Universal Symphony

Cover art painting “Universal Symphony” by Akihiko Toto

グラミー賞受賞者である世界的なサックス奏者であるポール・ウィンターの新しいアルバムにこう記されました。そうです、唐紙作品“Universal Symphony”がCDのジャケットとしてこの世に生まれたのです。ぼくは、今、感動と喜びに心が震えています。

“Universal Symphony”は、世界平和への祈りが奏でる三千世界の交響曲として渾身の心を込めた唐紙作品。史上初で史上最大となる22メートルに及ぶ唐紙アート作品の中心の青い珠は、22690人と世界平和を祈り、共にしふく刷りにより手がけた尊く美しい青い祈りの結晶があり、永遠(とこしえ)の青となり、世界と未来に光を与えることを祈った作品です。
世界中の美術品を見てきた依頼主から「見たことのない青、後世に遺したい美しいこの作品は、唐紙をこえて世界の名画になる」と、評されました。
そして、その日、その方からこうささやかれたのです。

「日本だけでなく、世界の誰が見ても美しいと思うでしょう。あなたは、Universal Artistになりましたね。」

音楽家のポール・ウィンターさんは地球から生まれる音を奏でている。universal、普遍性を探究し続けて自然や地球の声に耳を傾け、内なる音と向き合ってきた。それは、universal music と呼べるだろう。一方、唐紙師トトアキヒコは、自然や先祖、八百万の神々を見つめ、内なる光と宇宙を探求し続ける中で、世界平和を祈り”Universal Symphony”という作品が2020年に誕生した。作品が誕生した後に、奇跡のようなタイミングと道のりを経て、今回のポールさんの新作CDのカバーデザインの話がまとまったのだけど、国やジャンルは違えども、共にUniversalな世界観を見出し、孤高の道を歩み続けてきた者同士、見えざる何かに導かれたこの出会いはある種の必然だったのかもしれない、と、今は思っています。


今回のCD発売を機に、ポールさんとぼくの音と光が奏でるスペシャル動画を作成しました。
特別に作品を公開しており、こちらからご覧いただけます。

”Universal Symphony”

PAUL WINTER “WINTER’S DREAM”×TOTO AKIHIKO “Universal Symphony” 特別動画







2020.11.17
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 23:54 | - | - |
2020.10.18 Sunday
唐紙が宇宙へ…NASAと名前が並んだ日
唐紙が宇宙へ…NASA.JPG

2020年京都国際映画祭ARTプログラム/よしもとアーキグラム 『宇宙で茶会を開いたら』〜雲母唐長と、宇宙の「芸術利用」-協力JAXA- に参画しました。
いろいろなことをこれまで、目標を立て行動してきましたが、今回の件はちょっと想定外のことであり、楽しんでいます。唐紙が宇宙へと広がりました。そして、©雲母唐長/NASAの表記は、世間にもインパクトがあったようで、多くの反響の声が寄せられました。遂に、NASAと並んだのです。
唐紙を通じて世界を平和にするという志と言霊は、ぼくが2009年の展覧会で初めて発した言葉です。唐紙の美を世界へと伝えるために、言い続けてきましたが、今回、宇宙にまで広がった形を具体的に世に示したことで、その驚きのインパクトとともに、ユーモラスさとシュールな感じに、友人知人たちからは、笑われています。アートの本質は自由とはいえ、だいぶ遊びました。振り幅を広げることも伝統文化だとぼくは思うのですが、文様や今回の写真の唐紙アート作品「星に願いを」トトブルーの世界観に宇宙飛行士さんが浮かぶ姿、その振り幅の大きさに、笑いを呼んだようです。唐紙と文様=Univesal という概念はトトさんから教えられたので、文様が日本と世界を超えて宇宙に広がるというのは、ある意味最終ゴールというよりは、原点回帰なのかもしれないですね、との言葉も頂きました。また、ある人からは、トトさんのインタビュー読んだけど、安心してして読めるよね。あなたは5年前も10年前も、ずっと変わらずに同じことをぶれずに言い続けてきて、その積み上げに、だんだん時代の方が変わってきましたよね、と。何か大きな物事を成す人には99の力で抵抗や邪魔が入り、その人を苦しめるんだよ、だけど、成功する人は100の力で突破する、その差は1。だけど、大概の人は99の抵抗でめげたり、心が折れたりするんだよね、99の抵抗というのは、本人にとっては凄まじいことだと思うしね、トトさんは、誰もやってこなかった形で、唐紙を通じて世界平和という想念を誰よりも信じやり続け、99を突破したから今のポジションがあり、唐紙をアートにした人としてオファーが絶えないんだよね…と、言われました。祈りや神さまや、先祖の魂の向き合い方や唐紙の本質の話は、昔からずっと言い続けてきたことだけど、祈りの力、目に見えぬモノへの畏怖や敬意を知り、向き合うというのは、今の世の中には、必要なことだと思います。短いインタビューだけど、ぼくが大切にしていることが散りばめられているので、ぜひ、読んでみて下さい。


■「文様」にはすべて、意味や物語があるから、見えざる力が宿ってるんです。数百年、数千年続いてきた人の祈りがあるんです。

>>唐紙の文様は、自然をモチーフにして、本当に様々な展開がありますね。

文様を紐解くと、実は、そこには神様が潜んでいるんですよ。例えば、水は浄化をあらわし、その場を空気を綺麗にするとか浄めるとか、そういう意味があったりします。
龍とか亀とかは、お守りなわけですよね。守護的な意味があったり。
例えば、みんな、大好きなさくらにしても、「さくら」は神様の名前ですから。「サ」は、山の神のことです。さくらの「クラ」は鎮座するということです。坐る、サの神が鎮座する、ということです。春になると、山からサの神様が降りてきてくれはって、さくらの木に宿って、お花を咲かす。それによって、今年も神が山から降りてきてくれはったということで、五穀豊穣の願いを奉げる…それが、さくらの名前になってたりするんですね。

旧暦の五月、皐月の「さ」もサの神様です。
田植えする女性の方々は「早乙女(さおとめ)」って呼ばれてたり、「五月雨(さみだれ)」は稲を育てるのに必要な雨を言います。そこに、「サ」がついているのは、サの神様との関わりを表しているのではと思うのです。
文様は、単なるデザインや柄、装飾ではなく、それぞれに意味があり、物語があるのが、「文様」なんです。「notデザイン」なんですよ。

意味や物語があって、それが宿っているのが文様であり、数百年・数千年単位で人間が伝えてきたものなんですね。
僕にとっては、それらの力を写し取るのが唐紙だ、といつも言っているんです、単なる色が綺麗とか柄がどうとか装飾がどうとか、そういうものではありません。八百万の神々の見えない力みたいなものが宿っていて、それが木に彫られて、板木と呼んで江戸時代から先祖代々継承しているんですけど、その神の力が彫られた木に宿る訳ですよね。戦争も火事も地震も色々な天災も人災も乗り越えて、今、現在僕たちの手元に残っているものは600枚以上。そこには、長い歴史の中、先祖が命がけで守った力がさらにプラスオンされているわけですよ。その見えざる力は、一枚の板木に宿っていると思うんです。

自分を十代遡ると、お父さんお母さんだけで千人を超えるんですよ、誰でも。ということは、千の魂がある訳じゃないですか。でも、お父さん、お母さんだけじゃないですよね。兄弟姉妹もいるだろうから、数千の魂が十代遡る時間の中にあるわけですよ。僕らは、十一代、400年ぐらい続いていますが、家族だけじゃなく、それぞれの代に関わる職人さんたちの魂も数えると、もっと大きな数になっているわけです。さらに、唐紙を愛してくれた人たちが400年間いたわけです、これはとても大事なことです。この人たちにも家族がいますので、それらを考えると、数十万、数百万の魂の恩恵を受けて、1枚の板木が、今、存在していると思えたんですね、ある時に、僕は気づいたんです。その見えざる力を写し取れてこそ、初めて、美しい唐紙は、生まれる。そこに、その祈りや神様が宿っているということがあるから、僕はそれを写し取ることによって、人々が唐紙を通じて穏やかであったり、しあわせを感じていただいたり、ひいては、世界が平和であったりするといいよなぁと思い、唐紙と向き合うようになったんです。

>>その数百年・数千年の祈りに込められた文様によって、お部屋や、その空間がまもられているということですよね。

そうそう。そういうことですよね。凄く特別な感覚があるのです。襖1枚でも、いわば、数百年前に確かに江戸時代の空気を吸ってたものから、現代の暮らしに誕生するわけじゃないですか。僕たちが伝える板木には、江戸時代からの空気を数%纏ったものが、今の暮らしに時を超えて現れるわけです、凄いことですよね。
数百年、人々を守ってきた力が今、わたしたちの生活を守ってくれるんやないかなぁと思って…。だから、僕は、唐紙って見えざる力が宿ってるんです、と、ずっと言い続けているんです。

以前は「唐紙を通して世界を平和に」と言えば、「なにを、たいそうな」って言われたんですよ。「なにをおおげさなこと、言ってるねん、あんたは」ってね。
でも、今年ちょうどコロナ禍の真っ最中に納めた作品は22m、襖でいうと24枚分ぐらいの作品で、それで1枚の絵になっているんです。そのスケール感は、唐紙史上初のことであり、世界最大の唐紙アート作品となりました。そういう作品を納めたのです。
「世界平和のために作品をつくってください」と、言われてね。時代は変わりました。
その作品の中には、未来の地球があるんです。未来の地球をみんなで描こうということで、2万人ぐらいの人に協力してもらったんです。僕には「しふく刷り」という点描とたらし込みを融合させた独自の染め技法があり、みんなで世界平和を祈りながら「しふく刷り」を行い染めるという試みに挑んだ訳です。絵具を指につけて、青い点を和紙に置いていくわけですけど、結局、22,690人の方々が志を共にしてくれました。それだけの人々と共に手がけたアート作品は、珍しいですよね。

>>指で紙に青を置いていく。署名みたいなかんじですね。平和に捺印する、みたいなかんじですね。

海のようにも、天の川にも見えるし、宇宙にも見えるし、龍にも見える。作品の前に立つと、大きな龍が畝っているように見える。ふっと見ると、作品の一番左の端のところに、龍の頭と手みたいなものが出てきたんですよ、偶然なんですけどね。みなさん、驚かれますが、作品全体に龍神さんみたいなものが顕れているんです。見えない力を信じて向き合うからこそ、見えざるものがあるとき突如として顕れてくる、唐紙にはそういう不思議があるんです。

出典:京都国際映画祭ARTプログラム よしもとアーキグラム 『宇宙で茶会を開いたら』〜雲母唐長と、宇宙の「芸術利用」-協力JAXA- (トトアキヒコインタビュー掲載記事より)










2020.10.18
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 12:40 | - | - |
2020.09.06 Sunday
俵屋宗達に並んだ日
宗達に並ぶ唐紙

先日、養源院へ参拝した。
10年前に披露した初期作品の「星に願いを」は、日本随一の絵師である俵屋宗達の重要文化財「唐獅子図」(非公開)と並び、奉納されている唐紙師トトアキヒコのエポックメイキングとなった唐紙アート作品がある。
「唐紙には世界を平和にする力があります」と、言ったぼくに、ご住職が「そしたら、なんや、あんたを応援したら世界は平和になるのか?」と問われ、「そういうことになります」と答えたあの日のことを今も鮮明に覚えている。後日、お寺にて、「ここにあんたの作品と名前を掲げよ」と告げられて、作品「星に願いを」は生まれた。その後の事は、小説1冊書けるくらいにいろいろな物語があり、困難も葛藤も全て乗り越えてあの稀代の宗達と並ぶ作品は誕生したのだ…養源院へ参拝し、手を合わせる度に、忘れ得ぬ記憶が思い出され身が引き締まると共に、あの日、あの時、見出して下さったご住職に感謝する…あれから、ぼくはずっと約束した通り、世界平和を願い祈り続け、この神亀を用いた青い世界観の作品は、ライフワークとして生涯作り続けている。

毎日、毎日、毎日、毎日、唐紙と向き合うこと。
ぼくは、生涯かけてこの唐紙師の物語を作っている。










2020.9.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 16:02 | - | - |
2020.08.02 Sunday
22690人と共に手がけた唐紙史上最大22M24面の唐紙アート作品「Universal Symphony」
2020.8.1作品:Universal Symphony.JPG

作品:Universal Symphony
世界平和への祈りをテーマにした三千世界に奏でる世界平和の為の交響曲。
作品全体に描いた光の道は、月を銀色、太陽を金色で表し、史上最大の唐紙作品となる22メートルに及ぶその光の連続から生まれたうねりには、大きな龍が姿を顕す。2つの光は、月と太陽、陰と陽、過去と現在、東洋と西洋の世界を表します。人々の願いを連れてやがて天空の龍になり世界の平和を守るという祈りをこめて龍亀をうつしとった2頭から放たれた光は、やがて、理想郷へと羽ばたく。中心の青い珠は、22690人と世界平和を祈り、共にしふく刷りにより手がけた尊く美しい祈りの結晶。
永遠(とこしえ)の青となり、世界と未来に光を与えることを祈る作品。



点描とたらし込みを融合させたトトアキヒコ独自技法しふく刷りから生まれたこのブルーは、数万、数十万回の染めを重ねて生まれた深淵なる青い世界ですが、全ては令和元年の初日、たった1つの点からはじまりました。
たった1つの点から、22メートルの宇宙は生まれたのです。

意図せぬことを、意図する。
たらし込みは、絵の具のにじみによる表情を生かすものですが、ぼくの唐紙は先祖の魂と八百万の神さまと共に手がけるという考えがあり、とりわけ、水の力が強く、すなわち龍神がついていると信じています。だから、ぼくのたらしこ込みには意図せぬ偶発生の表情が顕れます。それらは完全にコントロールしきれないところが良いのですが、時に何かが顕れることもあります。今回は作中に幾つかの龍が生まれました。
渦巻くエネルギーをスパークさせた宇宙のような唐紙は、海でもあり、空でもあり、この世と新世界を行き来するような唐紙が生まれました。制作中は、普段は無音で臨むか、ピアノかバイオリン、チェロを聴くのが決まりごとでしたが、今回はなぜかビバルディ、バッハ、ブラームスの交響曲を聴き続け、延々とリピートしていました。完成するまでアトリエには交響曲が大音量で奏でられました。
それぞれを1枚ずつ染めてゆく中で、24枚のバラバラの青の個性を、6つのパートに分けて、色の流れをつくり、最終的には、その6つを1つの壮大な青い世界へと調和させてゆくという試みは、それぞれの楽器を、組み合わせて1つの楽曲を奏でるオーケストラの指揮者のような感覚を覚えました。
このことから、今回の唐紙を「Universal Symphony」と名付けたのです。

作品完成披露後、依頼主から
「見たことのない青、後世に遺したい美しいこの作品は、唐紙をこえて世界の名画になる」
と、評されたことを、誇りに思います。


三千世界の交響曲。
みなさんと共に世界平和を祈ったこの作品が、永遠(とこしえ)の青となり、世界と未来に光を与えることを心から祈ります。
2020.8.1サブ写真.JPG










2020.8.1
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 14:15 | - | - |