「文様」には、祈りの風景が在ります。表層的な「デザイン」ではありません。 そこには、人々の祈りや願いが込められ、神さまが潜んでいます。:日本の文様ものがたり(講談社)はじめ書きより
建築家飯田都之麿さんの言葉
「唐紙は光の文化であると言うトトさんの唐紙は光ですよね。けれど、トトさんの唐紙は光が違うんです。なんか色が違うというか、何かが違う…」と、何度か言われてきた。
あるプロジェクトで打ち合わせの際に、プラトンの洞窟の比喩がでた際に彼が呟いた。
「そうか、イデアと同じだ!文様は影です。トトさんの唐紙は、文様に潜む祈りの影を光としてうつしとっているんだ!それがトトさんの唐紙ですよ」
その言葉は、これまでぼくが唐紙における文様には祈りの風景があるという言葉を捉えたさらに一歩つきつめた言葉となり、ハッとしたぼくの肚にポトリとおちてきた。
彼がくれた衝撃的な言葉は、ぼくの唐紙師人生に新たな風をもたらしたと思える大切な言葉となり、これから存在してゆくだろう。
文様は祈りの風景である、とこれまでずっと伝えてきた。
祈りは、一般的には目に見えないけれど、祈りが文様というカタチに置き換えられてそこに思いがひそんでいるとすれば、その文様を光として今を生きる人たちの眼前に差し出し、または世にあらわし、伝えるのがぼくの仕事であると思った。
↓
唐紙の文様について
古代ギリシャの哲学者プラトンの洞窟の比喩は、目覚めから悟りの段階をわかりやすく伝えていて、洞窟に閉じ込められた囚人は、洞窟の中に映し出される影絵のような影像だけを見ていて、それが実物だと思っています。
思い込みや既成概念にとらわれては、事実と真実の違いにすら気付かない。
現実社会では「野に咲く花の美しさ」や「煌めく星空」など、さまざまな形で「美しさ」が目の前にあらわれていますが、花や星空の美しさは、それ自体の美しさからではなく、森羅万象全てのもとである「美しい」ということ「美」そのものが存在するからこそ、人はその「美しさ」感じることができる。
雲母唐長PV動画をご覧いただければおわかりいただけるが、唐紙師トトアキヒコが手がける唐紙には1枚足りとて祈りのない唐紙は存在しない。毎日、文様に潜む祈りに思いを馳せ、命がけで守り伝えた先祖や唐紙を愛した人たちへの感謝を捧げてから、オーダーされた方のための唐紙と向き合ってきた。
これからも美しい唐紙の光を通じて、人々の祈りのカタチと物語を後世に受け継ぎたいと思う。
そして、こういう不安定な時代であるからこそ、唐紙の美を通じて人々の心がおだやかであること、世界が平和であることを今一度、強く心に念じたい。
写真は、飯田都之麿さんが手がけた極上の眠りを目指した寝室。かぐや姫の世界を思い手がけた神秘的に華やな移ろいを醸し出す陰影ある竹の唐紙は、特別な調合のゴールドで染めました。下記写真は、屏風に唐紙作品「ミズハ」や収納扉に唐紙が用いられており、これら建築家飯田都之麿さんとの仕事は、I'm home.にて今月特集記事で紹介されています。
I'm home. no.90 2017 November
HOME FOR LUXURY
上質な暮らしをかなえる
2017.9.18
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)