唐紙師トトアキヒコ
Karakami-shi・Karakami artisan・Blue art Japanese culture and innovation is beautifully captured by Kirakaracho, the only Karakami atelier since 1624.

トトアキヒコInstagram
totoakihiko_kirakaracho


唐紙師。平安時代から伝わる唐紙文化の伝統を継承しつつ、現代の世にアートとして唐紙の新しい道を切り拓いた。詩情が宿る深淵なる青い唐紙作品は「トトブルー」と愛され、青の芸術、青の作家とも呼ばれる。
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唐紙師トトアキヒコのブログ(2008年5月〜2013年6月)

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雲母唐長/唐紙師トトアキヒコが奏でる光と音「雲母唐長美術館」への軌跡
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2017.10.30 Monday
命と命を繋いできた唐紙
命と命を繋いできた唐紙.JPG

何を表したかということよりも
何が現れているかのほうが大事


唐紙は、生まれた瞬間にとても艶やかで儚げな美しい景色を見せてくれる。

随分昔から、この乾く前の唐紙の景色は、板木とともに撮り続けている風景だ。
ちなみに、ほぼ毎回制作を終えるごとにぼくはその唐紙や板木の風景を撮り続けている。
毎日、唐紙と向き合う訳だから、その数は圧倒的に日々更新され続けていることになる。

即ち、それはぼくがどこの誰よりも、世界一、唐紙を撮り続けている人間であることを示している。


残念ながらお客さんのとこへ届ける際には、見ることができない絵の具が乾く間の刹那の趣は、唐紙は水のカミさまとともに在ると信じるぼくにとって、この瞬間は、不揃いの美の骨頂である。

そして、それこそがぼくが唐紙に見いだした美の力の神髄でもある。

目で捉えれば、これは梅の文様であるが、依頼した経緯とそのお客さんとの関係性においては、これは唯の梅ではない。
なぜなら、お客さんとの間には、
なぜこの文様を選んだのかという意味や物語がある
そして、それにぼくがどう応えたかということがその唐紙には宿っているからだ。

だから、目に見えること以上に潜んでいるモノ(魂)がそこに在る。
ぼくは、それを「気配のある唐紙」と呼ぶ。


何を表したかということよりも
何が現れているかのほうが大事


この写真1枚にしてもそうだ。
似せたり、真似たりしても
表層的に表向き同じような安易なコピーや複写と
そもそものオリジンは似て非なる差がある。

唐紙も同じだ

使い捨てられ次々に消費されてゆくモノと
長く残るモノの違いは何か
ほんとうの豊かさとは何か


およそ400年もの間、命と命を繋いできた唐紙
ほんとうの豊かさとは何か
こういう時代だからこそ、唐紙という手仕事を通じて、ぼくは世に問いたい。










2017.10.29
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
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