雲母唐長/唐紙師トトアキヒコが奏でる光と音「雲母唐長美術館」への軌跡2023-01-02T06:26:58+09:00平安時代に伝わりし唐紙の伝統を継承しつつ、アートとして愛でる唐紙の新しい世界を築き、前人未到の道を切り拓いた唐紙師トトアキヒコが見たものと世界観を綴る。青の芸術、青の作家とも呼ばれ、深淵な青い唐紙のアート作品は、八百万の神様や精霊とともに手がけた詩情が宿るスピリチュアルな〈トトブルー〉として愛されている。夢は雲母唐長美術館を創ること。
JUGEMカケラhttp://toto.kirakaracho.jp/?eid=10542022-12-31T20:07:59+09:002022-12-31T11:07:59Z2022-12-31T11:07:59Z
人生はずっと選択の連続だ。
今年、高みを目指すことを人や環境などを理由に左右されて諦めたくないからある選択をした。
これまでの道はまだ続いているようにも見えたし、実際その道をまだ歩くことも可能だったのだけど、その道を道なりに歩いてゆくという選択をやめ...唐紙師トトアキヒコ思い
人生はずっと選択の連続だ。
今年、高みを目指すことを人や環境などを理由に左右されて諦めたくないからある選択をした。
これまでの道はまだ続いているようにも見えたし、実際その道をまだ歩くことも可能だったのだけど、その道を道なりに歩いてゆくという選択をやめた。この選択が何をもたらすのかはわからない。ただ、道は自分で選びたいと思った。歩いても走ってもいいし、泳いでもいいし、潜ってもいい。自転車でもいいし、何か乗り物にのって飛びながら進むのでもいいし、船に乗り航海するのでもいい。目的地に向かって何でどうやって誰と進んでゆくのかを自分で決めたいから何かを理由にして誤魔化すのはやめた、他者や周囲に引きずられることなく進みたいと願うのは世間ではワガママとも言うらしい。しかし、自分の道は自分がつくるものだし、人生という物語は命ある限り続くし、命尽きても伝承される仕事をしているのだと矜持を抱きぼくは毎日生きている。
それでいいじゃないか。
青臭かろうが、果てしなかろうが、夢や理想を持ち志を抱き生きることに、ぼくはしあわせを感じる。
そして、唐紙をつくることに。
何を選ぶのか、何をするのか、誰とするのか、何にこの限られた人生時間を投資するのか。
選択の正解はいつもわからないけれど、選択した道が正しかったのだと思えるように歩みを進めることしかない。うまくゆかず、もがきながらもダメなときもあるし、間違ってしまうこともあるが、それはその失敗の中や過程になんかしら意味を見つけるという正解の種を見出すべきなんだと思う。
無理にしあわせなふりをする必要もなく、楽しそうに振る舞う必要もない、辛い時は辛くてもよいのだ。ズタボロになっても、徹底して自分と向き合った時に残るカケラを見つければよい。
きっと、見つかる。
だから、自分のことだけ考えればよい。
けれど、そのカケラが誰かのため、世界に役立つのであれば、しあわせだなぁと思うし、意味があるんだと思う。
ぼくはそう思いたい。
2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼897http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10532022-12-31T19:53:19+09:002022-12-31T10:53:19Z2022-12-31T10:53:19Z
風景
(Leica photography)
2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼896http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10522022-12-31T19:51:42+09:002022-12-31T10:51:42Z2022-12-31T10:51:42Z
風景
(Leica photography)
2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
2022.12.31
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>平安時代と令和の祈りのカタチhttp://toto.kirakaracho.jp/?eid=10512022-06-05T20:40:31+09:002022-06-05T11:40:31Z2022-06-05T11:40:31Z
前々から頭をかすめては通り過ぎてきた心象風景をようやくカタチにする機会が訪れました。
霊峰富士山を唐紙として顕すことは、ぼくのやるべき仕事の一つであり、今まで何度か試みたことはあるのだが、世に出すには至らず、思考錯誤してきたのですが、ある日、MIHO VIL...唐紙師トトアキヒコ思い
前々から頭をかすめては通り過ぎてきた心象風景をようやくカタチにする機会が訪れました。
霊峰富士山を唐紙として顕すことは、ぼくのやるべき仕事の一つであり、今まで何度か試みたことはあるのだが、世に出すには至らず、思考錯誤してきたのですが、ある日、MIHO VILLA(吉村順三設計の迎賓館)の床の間に飾るための作品オファーが届き、ぼくはこの機会に、覚悟を決めて富士山へ挑むことにしました。
ぼくには、記憶に残る大好きな仏像があります。
唐紙にアートの道を切り拓こうと歩みはじめたばかりの頃、その志を、いち早く認めてくれたのがMIHO MUSEUMであり、2009年に初めて唐紙史上初めて、唐紙がアート作品として美術館に収蔵・展示されました。その展示作品となった「inochi」は、最後から2番目の場に会場構成として展示されていました。作品「inochi」を観た次に暗がりの部屋があり、薄明かりの中に静かに微笑む仏像があったのです。ぼくはその静かな美にどれだけ心を癒され、そして力をいただけたことか…当時はまだ、伝統工芸であった唐紙を、和室や襖などの枠を取っ払い、美術(アート)として自由に解き放つことに周囲は懐疑的であり、ぼくの思想や唐紙に対して、反発したり批評したりする人に心を痛めている時代でした。そんな中で、初めての快挙となった美術館での作品展示に、ぼくはいろいろなことを重ねて自分の作品を眺めていた訳ですが、そんな中で出会った仏さまに、当時のぼくはとても救われた気がしたのです。その頃からでしょうか、現世でああだこうだ言われても、必ずしもその人たちの意見や考えに左右される必要がないことを知りました。NOと突きつけられることは、辛いことではありましたが、歯を食いしばり、自らを奮い立たせて歩み続けるにおいて、その後の人生においても一緒にいたい、笑い合いたいと思える人を見分ける機会でもあった訳です。誤解を承知で極論を言えば、神さまや仏さま、先祖は見てくれているのだから、お天道さんに向かって自分の信じる道を歩めば良いのだと。今の評価に右往左往するのではなく、やがて時代が判断するであろうと。この頃からぼくは強くなれたのです。
そして、こうも思いました。ぼくに唐紙師としての天命があるとするならば、間違いがあれば神さまが道を正すだろうし、そもそもオファーもこないだろう、だから、自分を信じて貫こうと。
その頃から今までぼくに唐紙のオファーが途切れたことなく、ぼくは自分の信念と祈りを込めた唐紙を数百、数千…とこの世界に届けています。
この作品は、トトブルーと呼ばれる祈りの青の世界に煌めく光の波紋、その祈りの光を背景にしてぼくはその忘れられない仏像を飾る風景を思い描きながら生まれました。いにしえと今、平安と令和の祈りのカタチの共演を願いました。
ぼくが心の底から見たいと願った仏とミズハを融合させた風景は、今、この世に存在しています。
作品「ミズハ(富士山)」は、12世紀の平安時代の観音立像(興福寺千体仏)の背景に在るのです。
作品:ミズハ(富士山)
富士は不二にも通じ、古代より日本人の心の拠り所となってきた聖山です。桜の化身であるコノハナサクヤヒメを守護神とする由縁から桜文様をしのばせ、昇天する龍と共に荘厳された純白の霊峰は、二つとない、唯一無二の輝きを放ちました。清めの霊性エネルギーをもつ渦の重なりに満ちた富士の山が静かに輝きをましながら、生まれるときには、ぼくの心にはある歌が在りました。
なにごとの おはしますかは しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる
(西行)
カミなきこの世にカミを呼び覚ます。
唐紙を通じて、東と西の世界を繋いで世界の平和を祈ること。
この作品は、祈るように生まれ、この世に顕れたものです。
そもそもぼくの唐紙は、偶然と必然、意図せぬことと意図がせめぎ合い、絡み合い螺旋を描き混ざり合い、重なりあうなかで混沌の世界から光と影を見いだすことに命を削っています。そこから生まれた陰影のゆらぎに、あたかも縋るように祈りをこめてゆくのが、モノづくりのプロセスとしてあります。
いつも、その最後の瞬間は祈るしかないのです。
技術や作為を超えたとこにある何かに触れたいと思い目指した未完の美ともいえる気配ある唐紙の世界は、陰影やゆらぎと共に見る人の心の中で完成します。
そこにはないのだけど、在る…の、ようなもの
それが、ぼくが目指す美しい唐紙です。
(2022年1月/唐紙師トトアキヒコ)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼895http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10502022-06-05T15:59:49+09:002022-06-05T06:59:49Z2022-06-05T06:59:49Z
板木:光琳枝梅
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
板木:光琳枝梅
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼894http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10492022-06-05T15:59:08+09:002022-06-05T06:59:08Z2022-06-05T06:59:08Z
唐紙:光琳枝梅
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
唐紙:光琳枝梅
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼893http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10482022-06-05T15:57:52+09:002022-06-05T06:57:52Z2022-06-05T06:57:52Z
秋景色
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
秋景色
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼892http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10472022-06-05T15:57:03+09:002022-06-05T06:57:03Z2022-06-05T06:57:03Z
御室八十八ケ所
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
御室八十八ケ所
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼891http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10462022-06-05T15:55:53+09:002022-06-05T06:55:53Z2022-06-05T06:55:53Z
風景
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼890http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10452022-06-05T15:54:37+09:002022-06-05T06:54:37Z2022-06-05T06:54:37Z
風景
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
2022.6.5
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>未来に遺す唐紙http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10442022-02-06T17:55:52+09:002022-02-06T08:55:52Z2022-02-06T08:55:52Z
ぼくは、文様は未来へ遺す種だと思う。ずっと、唐紙は単なる紙ではなくカミ宿る紙であると伝えてきたが、こういう時代だからこそ、あらためてそのことに意味があるのではと感じる。
『僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもら...唐紙師トトアキヒコ思い
ぼくは、文様は未来へ遺す種だと思う。ずっと、唐紙は単なる紙ではなくカミ宿る紙であると伝えてきたが、こういう時代だからこそ、あらためてそのことに意味があるのではと感じる。
『僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもらいたいということではないんです。100年後の未来には、未来の人が生きていて、暮らしていて、その時代の空気というか、そこにはそこの色んな想いや祈りがある。時代はこれからも変わり続けます。人が何をどう感じるかということや、物事の見え方や解釈もその時代ごとに移り変わるものだし。それらを受け入れる余白が必要だと思うのです。どう育つかわからんことも含めて、完成形ではなく「種」なんです。その100年先の時代との「共同創造」をしていく種をいま残す、ということ。それが伝統なんやと僕は思う。』
2020年に京都国際映画祭ARTプログラム/よしもとアーキグラム 『宇宙で茶会を開いたら』〜雲母唐長と、宇宙の「芸術利用」-協力JAXA- に参画したところ、NASAとぼくの作品がコラボしたことで驚きの声と共にさまざまな反響が寄せられました。2021年度の京都国際映画祭ARTプログラム/よしもとアーキグラム「地球は、ひとつの生命樹」にも参画し、興味深いインタビューとなりましたので、記録のために、このブログにも記しておきます。
■唐紙師 トトアキヒコ氏
100年先を生きる人と共同創造するために。
未来への「種」を残します。
>>語弊を恐れずに言うと、むかしの日本人は現代人より「おめでたく生きる」のがうまかったような気がします。
縁起を担ぎ、植物の文様を通して、日常の暮らしのなかに吉祥を持ち込み、ほっとしたり、前向きになったり、ポジティブなマインドセットを設定するのがうまかった。験の良さにあやかる力に秀でていたような気がします。
ずっと唐紙師として仕事をしてきて、2013年頃かな、あらためて、「吉祥には、なにかがある」と感じて、「文様は祈りの風景である」という境地に辿り着きました。その後、文様には意味や物語があると提唱するようになったのです。
日本語には、「言霊」というものがあるけれど、それとはまた別の力というか・・呪術的なというか・・「人知れず伝える」という部分が吉祥文様にはあるな、と。
装飾的に見てきれいやなというだけやない。言葉ではなく伝わる「暗黙知」というものが、そこにはある。「うちの文様には人をしあわせにする力がある」と呪文のように口ずさんでいます(笑)。
>>最近は、『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』など、目に見えない力が活躍するアニメが大人気ですけど、日本の文様もそういう目に見えない霊力が宿っているということですね。アニメでは、闇の霊力にスポットが当たりがちな気がしますが。
それで言えば、唐紙は、霊力の光の部分やね(笑) 「縁起」って、今の言葉で言えば、「アセンション」っていうか。そういう異世界へのスイッチみたいなところが、吉祥文様にはあると思う。
>>人を光にシフトさせる異世界へのスイッチですか。
なかなかコロナ禍が収まらないけど、コロナは僕らに考える機会を与えたと思う。何がほんまもんか。何を選択するのか。何が自分の人生に価値をもたらしてくれるのか。真剣に考える時間と機会を社会にもたらしたとも思っています。
社会の在り様が変わり、ガラガラと音を立てて消費構造も変わり、格差が広がり断絶される社会のなかで、しばらくは人間社会は右往左往しそうですが、不要不急という言葉が頻繁に繰り返される社会において、僕たちのような芸術や文化に携わる仕事が不要不急だと言われる世の中になったとしたらゾッとするね。
幸い、ステイホームで家にいる時間が増えるなか日々の暮らし方や時間に目を向けるようになり、自分の空間を大事にしたいと思う人たちも増えたようで、自分の空間を守りたいからと声がかかることも増えましたが。
>>縁起のいい文様を、ふすまや部屋のしつらえに取り入れて、不安なご時勢から自分を守ろうという人も増えたのではないですか。
衛生的に徹底して「身体を守る」だけでなく、未来への不安から解放され「心の平安」を担保したり、祈りの文様に包まれて「霊的にも守られる」という拠り所がないと、本当の意味で免疫力の活性って望めないのかもしれません。日本人はそのスイッチを入れるがうまいというか、もしかしたらそれがファクター?にも関係しているのかもしれません。
平成の時代には平成の祈りが、令和の時代には令和の祈りと想いがある。「よりよくしよう」「よりよくなるように」と他者に想いを馳せ、祈りを捧げ手を合わせるのは、人の姿としてとても美しいものだと思う。
伝統というものは受け継ぐだけのものではなく、その美しさの在りようも含めて未来への「種」として伝えていくこと、伝え続けていくことだと僕は思う。
江戸時代から代々受け継ぐ600枚を超える板木を継承すると共に、いまここにある現代の祈りを100年先の未来の人に伝えるために、今を生きる人たちと共に新しく文様を創り、新しく板木も作りました。100年後の人々に僕らの「今」を知ってほしいと平成が終わる年に始めたのが、平成-令和の百文様プロジェクトです。
>>未来への「種」とおっしゃいましたが、なぜ種なんですか?
僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもらいたいということではないんです。100年後の未来には、未来の人が生きていて、暮らしていて、その時代の空気というか、そこにはそこの色んな想いや祈りがある。時代はこれからも変わり続けます。人が何をどう感じるかということや、物事の見え方や解釈もその時代ごとに移り変わるものだし。それらを受け入れる余白が必要だと思うのです。どう育つかわからんことも含めて、完成形ではなく「種」なんです。その100年先の時代との「共同創造」をしていく種をいま残す、ということ。それが伝統なんやと僕は思う。
>>そのときどきの時代精神とのコラボレーション。それをする「種」を残すというですか。
そう。以前、10年以上前ですが、フランスのルイヴィトンが、アトリエを訪ねてくれて、ある文様を見て、ものすごく反応されたんです。それはとても西洋的な文様なんです。「これは誰がデザインしたのか?」と聞かれたんです。僕は板木を見せて「江戸時代です」(笑) 江戸時代の精神が、その文様を産んだんですと。彼らのメゾンの歴史のはるか昔に、その優れた文様が存在していたことに驚かれていました。こうやって文様は、西と東を往来しながら人々の想いや物語を紡いできたのです。文様は民族も国も、そして時代をも超えて旅をしていると言ってよいでしょう。僕は、これらの文様を通じて西と東を結んで世界を平和にしたいと願っているのです。
人の祈りが折り畳まれている文様には、なんやわからんけど、体温があるんです。先人が、そのまた先人も、ずっと祈ってきたんやと。それを受け継いで来た光には、ぬくもりがある。人間を介さない伝統なんてないわけだから、今を生きる人間として未来にそのぬくもりを伝え続けていくことが、伝統なんやなと思う。
>>その祈りのぬくもりを暗黙知としてつないでいくことが日本人のサスティナビリティにつながるのかもしれません。
出典:2021年京都国際映画祭ARTプログラム よしもとアーキグラム「地球は、ひとつの生命樹」
『雲母唐長』の植物文様 X 植物の声を聴いてみた(澤野新一朗)(トトアキヒコインタビュー掲載記事より)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼889http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10432022-02-06T17:14:33+09:002022-02-06T08:14:33Z2022-02-06T08:14:33Z
風景
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼888http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10422022-02-06T17:13:10+09:002022-02-06T08:13:10Z2022-02-06T08:13:10Z
風景
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
風景
(Leica photography)
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唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼887http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10412022-02-06T17:11:24+09:002022-02-06T08:11:24Z2022-02-06T08:11:24Z
平成-令和の百文様:骨喰藤四郎
2018年に京のかたな展とコラボし、限定販売した名刀骨喰藤四郎の唐紙
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
平成-令和の百文様:骨喰藤四郎
2018年に京のかたな展とコラボし、限定販売した名刀骨喰藤四郎の唐紙
(Leica photography)
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唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>トトの眼886http://toto.kirakaracho.jp/?eid=10402022-02-06T17:09:02+09:002022-02-06T08:09:02Z2022-02-06T08:09:02Z
唐長の板木:大竹
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)唐紙師トトアキヒコトトの眼(Leica photography)
唐長の板木:大竹
(Leica photography)
2022.2.6
唐紙師トトアキヒコ
Karakami artisan Toto Akihiko(Karakami-Shi)]]>