唐紙師トトアキヒコ
唐長の文化を継承する唐紙師。従来の唐長の唐紙を継承した襖や建具、壁紙、唐紙を用いたパネルやランプなど、現代の暮らしに合うさまざまな唐紙を制作している。唐紙をアートにした第一人者であり、唐紙の芸術性を追求し、点描とたらし込みを融合させ自らの指で染めていくトトアキヒコ独自の技法「しふく(Shifuku)刷り」や「風祈」から生まれる深淵な青い唐紙作品は、八百万の神様や精霊とともに手がけた詩情が宿るスピリチュアルな<トトブルー>と愛され、公共、商業施設、個人邸に納め続けている。2010年、MIHO MUSEUMに作品「inochi」が収蔵・展示されると、史上初のミュージアム・ピースとなった唐紙として話題を集め、2014年には、東京国際フォーラム・相田みつを美術館で唐紙の歴史上初めてとなる唐紙アートの美術展を開催。名刹養源院に奉納されたアート作品「星に願いを」は、俵屋宗達の重要文化財「唐獅子図」と並んでいる。同寺にある俵屋宗達の重要文化財「松図」の唐紙修復も手がけ、三十三間堂本坊 妙法院門跡、名勝・無鄰菴、護王神社などにも唐紙を納めており、京都だけにとどまらず全国の寺社仏閣から唐紙を依頼され、唐長として伝統の継承を行いつつ、現代アートなる唐紙の世界を築き、前人未到の道を切り拓いている。
2015年9月、言霊と撮りおろした写真をまとめ、初エッセイ「日本の文様ものがたり」(講談社)を刊行。
2018年7月、百年後の京都に宝(心)を遺す文化プロジェクトを提唱し、「平成の百文様プロジェクト」主宰。江戸時代より 先祖代々受け継いできた600枚を超える板木に加える新たな100枚として、唐長の新しい歴史を担う。

TOTO has been working as a craftsman in KARACHO, that is a famous studio of KARAKAMI woodblock-printed paper in Kyoto established in 1624, and making traditional ‘fusuma‘ sliding doors and wall papers, and he is also passionate about an artistic expression with KARAKAMI. His original method called ‘SHIFUKU’ painting with his fingers can create unique works of art.
He provides his KARAKAMI works for various temples, shrines, museum,public facilities, and private houses, and people feel drawn to his works which the spiritual power of language brings some scenes and stories, that is a reason why he is called KOTONOHA KARAKAMI-SHI.
His artwork called ‘Wish on a star’ is displayed next to the important cultural property by TAWARAYA SOTATSU in YOHGENIN temple in Kyoto, and he had also restored another SOTATSU’s work there.
As mentioned above, he is devoting himself to maintain the traditional works, and trying to establish the contemporary arts with KARAKAMI at the same time.

KARAKAMI artisan
TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
雲母唐長

[雲母唐長]KIRA KARACHO online shop



唐紙師トトアキヒコのブログ(2008年5月〜2013年6月)

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雲母唐長/ことのは唐紙師トトアキヒコが奏でる光と音…「唐長美術館」への軌跡
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2015.12.30 Wednesday
一橋大学の教壇に立つ
一橋大学の教壇に立つ.JPG

2015年12月9日は、覚悟のいる大きな挑戦だった。

これまでさまざまな場で講演をしてきた。講演会場やホテルや商業施設、店舗、百貨店、神社にお寺に個人邸宅…大きな会場では東京ドームでも話をしてきたが、今回はそのどことも違う緊張感と向き合うことになる。
唐紙を伝統工芸として捉えるのであれば、芸術系の大学で話すのはまぁ普通のことだし通じることも多々あるのだろうが、今回のクラスは一橋大学の大学院でありビジネスを極める場。しかも、通常の講演会は、少なからずとも唐長や唐紙に興味がある人が対象であり、そういう方々が入り交じる中に、呼ばれて話をする訳だからある程度は話が通じるということが前提である、今から考えるとなんとも恵まれた状況下での講演をしてきたものだとさえ思える。

今回は、違う。
唐紙も唐長もトトアキヒコも誰も知らない。
なおかつ、日本語は通じず、英語のみの世界各国でこれから活躍するいわゆるビジネスエリートたちの為のクラス。

そう。誰も、何も、知らない、のだ。

そんなある意味苛酷な状況下でなぜ、ぼくはこの依頼を引き受けたのかというと、それは「挑戦」というひと言に尽きる。
なぜなら、ぼくは、これから唐紙を世界の舞台で発信しようとしている。
つまり、言葉も通じない、誰も唐紙のことを知らないところへ唐紙を届けるということをしようとしている。誰も何も知らない場において、ぼくの話が何かしら共感を得ることができないのであれば、そもそも唐紙が世界に出ることなどできない訳だから、今回の機会は、ぼくのチカラが世界に出るだけのものがあるのかどうかを推し量るリトマス試験紙でもあった。
結果は、1時間ほどの講義が2時間近くに及び、その後、学生たちの質疑応答は1時間に及び3時間以上話し続けた。

唐紙を知り、魅了された学生たちにぼくは囲まれることになった。




一橋ICS国際経営戦略コースは、日本初の専門大学院として国際的なビジネスのプロフェッショナルを養成する日本で唯一授業をすべて英語で行うビジネススクール。一橋ICSのビジョンは”Best of Two Worlds”であり、西洋と東洋、実践と理論、新しい経済と古い経済、持てる者と持たざる者など2つの異なる世界の間の架け橋となることだそうで、これはまさに、ぼくの志とも合致する。
新宿伊勢丹でぼくの講演会を聞いてくれた一橋大学の講師である西坂さんが興味を抱いてくれたことから、このクラスを受け持つ西坂さんと木村さんから依頼を受けた。日本の多くの伝統工芸が廃業や縮小を余儀なくされている中で、新たな顧客層を開拓し、アートとしての唐紙を届ける挑戦は、まさにブルーオーシャン戦略でもあり、世界から集まる次世代のビジネスリーダーにも学ぶところが多いはず。今回は、トトさんのアーティストとしての側面だけでなく、プロデューサーとしての考えもお聞かせ頂けたら興味深いとのことだった。

冒頭に、西坂さんより伝統産業が抱える問題や現状、国の政策などの説明があり、産業としていかに斜陽であるかの背景がスライドをまじえ語られた。これらの問題点をすべて発想の転換で乗り越えて唐紙にアートという新しい命を吹き込み、新たなマーケットを作り出したトトアキヒコ様のご紹介!…というなんともハードルのあげられた状態でぼくは壇上する。
ちなみに、唐紙の外的環境として和室数の推移は、1970年代59.0% だったものが2000年代では23.7%に激減しているそうだ、和室とともにあった唐紙であれども、斜陽どころか、今、ぼくが抱える全国からの唐紙の制作受注は過去三年間右上がりに上昇し続けている。

まず初めに唐紙の歴史や背景などを説明し、ぼくが気付きを得た唐紙の本質を学生たちに話をする。単なるデザインや装飾紙として捉えてもらいたくなかったので、唐紙に潜む美のチカラの根源はどこからくるものなのかということ、文様に宿る祈りのチカラなど時間をかけて話した。公用語は英語なので、西坂、木村両氏がぼくの日本語を英語に通訳してゆく。教室は、とても静かだ。緊張感というよりかは、品定め、というか分析されているといった空気が漂うなか、普段の話では空気が変わるとこでも通訳による時間差と言葉の壁のせいもあり、慎重な空気が漂う時間だったように思う。

その後、
伝統工芸として伝えられてきた唐紙になぜ、アートの道をつくろうとしたのか、また、その結果について話す。和室の減少と暮らしの変化、他が途絶えてしまった結果唯一残ったことによる特異性がさらに買い手のハードルをあげ、文化財修復などを手がけることは、時に逆効果を生み、より一層ハードルがあがる要因となることを説明した。
すなわち、多くの人が唐紙を知らない中、和室がない暮らし、価格が高い、時間がかかる、京都までわざわざ行かねばならないオーダーの手間などマイナスの要素だらけの中から、買わない理由をぼくは一つ一つ消してゆき、話をすすめた。
伝統として特別なとこに奉られたとっておきのものよりも、本当に心から必要とされるとっておきのモノとして唐紙を愛する人との関係性を築くことの方がぼくにとっては尊いのだ。
とっておきというのは、歴史や伝統があり、希少価値があり価格も高いから価値があるというのは、ぼくの考えではない。

本当に必要とされるモノとなってこその、とっておきこそが、ほんまもんだと思うし、そこを目指している。

この辺りからは、ぼくがビジネスモデルとしてどう捉えているかという話も含めて講演する訳だけど、ここからはこれまでの講演会でも話してこなかったぼくにとっても初めての試みが始まる。
ビジネスの世界におけるモノゴトの革新が生まれる状況下、成功する新規事業3つの条件について話をする。

1)市場が大きいということ
2)そこでの不満や不便があること
つまり、市場はあるが、改善の余地があるということ
3)変化の兆しがあること
時代の変化、技術革新、規制緩和などの変化が起きているということ

この3つの観点からぼくのしてきたことや考えを当てはめて語った。
失われてゆく日本文化、唐紙文化の中で、わかってもらえないのは、わかってくれない他者や社会が悪いのではなく、わかってもらえない自分が何より悪いのだという考えから全ての行動は発している。

未来を予測する一番の方法は何かわかりますか?

と尋ねると数人が手を挙げてくれた
その内の一人に尋ねると、
「build up!」
と彼は笑顔で答えてくれた。ぼくは対話できることがとても嬉しかった。

そう、
未来を予測する一番の方法は、その未来を自分がつくればいい。

マーケティングや分析はとても大切なことだけど、ぼくからすればそれらは全て過去のことだ、そこに重きをおくよりも、それより未来に目を向けませんか、未来を視るチカラこそが大事だと話した。
いつだって未来は、前にある。
選んだ道の正否を分析するより、選択した道が正しくなるように行動することのほうが大切だと思う。
今、無いものだから、今、見えていない景色だから不安を抱き、拒む人がいるのであれば、目に見えるようにすればいい。だから、ぼくは誰にでも目で見てわかるように自らが行動することによって、第一人者として唐紙の未来を示した。
世界に通じるポテンシャルがある唐紙を誰にでもわかるカタチで見せるためにアートにした訳だし、世界の舞台にでる為には世界のルールに則る必要がある。
すなわち、アートは世界共通言語であることに素直に目を向けたのだと。

伝統とは、というお題についても時間をかけた。
なぜ唐長が400年続いてきたのか
文化というのは、一方向でなく相互間
愛おしんで手がけたつくり手と愛おしんでくれはるつかい手
時間とともに朽ちてゆく良さ、ダメージや傷ですら愛おしく思える文化
頑丈だから、丈夫だから残るのではない
語りとともに、受け継がれてゆくことの大事さ
モノを越えるモノの物語
伝統とは、常に今
延暦寺不滅の法灯の話
など

唐紙は唐紙というモノだけでは、決して400年も続いてこなかった、というのがぼくの持論であり、確信でもあります。
つくり手もつかい手も、時代を超えて受け継ぐべきは、単にモノではないし、名や技術だけではこの先長くは続かない。

黒板にピラミッドの図を描き、1200年をこえる歴史を持つ唐紙の図式を表した。
最初の800年ほどの時代とその後のある革新後400〜500年のこと、そして2008年の革命以前以後のこと、やがて50年、100年経った時の唐紙の世界の三角ピラミッド図式に描かれることになるトトアキヒコ以前以後の話をした。どれほどの覚悟をもって、変化に挑んだことが伝わったと思う。
変わらないためには変わり続けること、変化と多様性の中から新しい価値を見いだすことが時間をこえて伝わり続ける秘訣であると、ぼくは思うし、世の中の仕組みごとつくる気概がなければ、第一人者とはなり得ない。

遠くを見据える未来を見る視力が大切だと最後に繰り返し、イソップの童話である3人のレンガ積みの話をして講義を締めくくった。
ぼくは3人目のレンガ積みと同じ思いで仕事をしている。
この先唐長が50年、100年と続いたときには、この日の講演も、歴史に残る唐紙の壮大な物語をつなぐひと時となる。希有な時間を一橋大学の学生たちと共有できたことを、心から嬉しく誇りに思うし、ぼくの話に共鳴したあなたたちがやがて自国に戻り世界で活躍するうちに、ぼくたちのビジネスパートナーとなる日が来ることを心から楽しみにしたい。
と、締めくくった。




講演終了後、質問時間を設けた。
これまでの講演では見たことのない光景を迎えた。
クレバーで熱気帯びた彼ら彼女らは、矢継ぎ早に手を挙げて、1時間以上質疑は続いた。

どんなコラボが有効かとか
こういうコラボは考えないのかとか
国内と国外どちらが大事かとか
世界に出ようとマーケットを世界にするならば、世界的なメジャーブランドと手を組む気はあるのかと、固有名詞を挙げて尋ねられて答えに困ったこともある。
たくさんの人に知ってもらいたいが、心ない人には愛してもらわなくてもいいし企業路線の違いがそれぞれにある中、ぼくの中で改めてさまざまな企業イメージを見直した時間でもあったその中で、メジャーになれども志や愛情が作り手も使い手も薄くならずにやっている世界的企業も確かに存在することをぼく自身認識した
また、その方の国でどのように文様が研究されているか教えてくれる人
質問と称して挙手し、他の事例として自国では失われた他国で残され伝統文化が近年本来の国で復興したケースを紹介し、今度このイベントを開催するにあたり、あなたも一緒に何かできるかもしれないと話をしているうちに質問じゃなくなる人もいた…笑
なんでこういうことを言っているのかと言うと「Like You」だからだ、と言われたりも…笑
また、ぼくが直面して抱えている一人での生産能力の壁の問題を鋭く指摘する人もいた
これに付随して、今後取り組む弟子や後継者、技術論の話を一万時間の法則を絡めて話をしたりする

さまざまな角度からの質疑応答で、学生たちには、ぼくが持つ「古今異」と呼んでいる3つの顔が浮き彫りになったと思う。
古は、従来の伝統を継承すること
今は、今の時代にあう新しい唐紙の道をつくりだすこと
異は、他者と交わり新たな価値をつくりだすこと

一橋大学での講演を終えて、今、思うことは、ぼくに内在する3つの側面を明確に認識したことだ。
それは、
唐紙師であり、プロデューサーであり、経営者であるということ。

この3つの顔の内どれが世界舞台へと貫くことになるのかは、わからないが、つくり手(player)として世界舞台で戦うチカラがあるということが、唐紙師トトアキヒコにとって全ての始まりだと思っている。

もうひとつ得たもの。
陰影のゆらぎ、不揃いの美、余白の美など気配のある唐紙を最上とするぼくの話す日本語はなかなか英語にするニュアンスが難しく伝わりにくく、取材やメディアでもいつも困っていたのだが、西坂さん、木村さんは、これまでの誰とも違う空気をもたらし美しい英語を話したことに驚きと喜びを得た。
西洋社会におけるアート世界に認知されるには、西洋社会のルールに則る必要がある、そこにはことばや理論、意図の説明や背景が不可欠であり、日本特有のそして京都では特にその傾向が高い、そんなこと話さなくてもわかるとか、というのは所詮日本でしか通用しない。
本気で世界に出るには、唐紙のこともぼくの作品意図を全て言語に置き換える必要がある。もちろん、モノとして美しいこと、本質的に圧倒的に潜むパワーがあってこそというのが大前提であるが。

今回の出会いは、これまで届かなかった場へ、思いを届ける声を得たとも言える。

みんなと撮影した1枚の写真。
届かなかった場に届け得る声を得たということ、ぼくの話を聞いた未来を担う人たちが世界各国に存在するということ、このことは、来るべき唐紙の未来に大きな意味をもたらすであろうとぼくは確信する。

一橋大学の教壇に立つ2.JPG










2015.12.30
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 07:36 | - | - |
2015.11.17 Tuesday
遠くを見るチカラ
遠くを見るチカラ.JPG
何かを変えるには、勇気と視力だ。

不安や畏れもある…抵抗や反対を受け批評にさらされたりもする。
自分は善かれと思っていても、周囲からすると、何がしたいのかさっぱりわからないとか、やめてほしいとか言われるのは、なぜだろうかと考えた。

モノゴトや体制を変える時に、現状維持を好ましいと考える人はたくさんいるし、そこで暮らしてきた人や、ましてやそのことにより既得権益を得てきた人にとっては尚、一層、変えることに不安や抵抗をおぼえるのかもしれない。
変わることにより、どうなるのかということが見えないゆえに、人は不安や変化を拒んだりする。
先が見えないからだ。

未来を予測する一番の方法は、その未来をつくればいい、と誰かが言った。

今、無いものだから、今、見えていない景色だから不安を抱き、拒むのであれば、目に見えるようにすればいい。
だから、ぼくは誰にでも目で見てわかるように自らが行動することによって、唐紙の未来を示した。

唐紙の未来のため、毎日、毎週、毎月、毎年つくり続けた。
今も毎日つくり続けている。
毎日つくりつづけているということは、どういうことか。
オーダーが絶え間なくあるということだ。
それは、ぼくが提示した唐紙の未来への賛同者、共感者が広がり続けているということでもある。

その昔…誰もなし得なかった唐紙にアートの道をつくろうとした時、邪道や異端と揶揄されたことが、今やスタンダードとなり人々の日常を彩るようになった。


未来を予測する一番の方法は、その未来をつくればいい

今また、ぼくは次の舞台へあがるための大きな変化をむかえることを決めた。
変化に必要なこと
一歩ふみだす勇気と来るべきその風景を見る視力だ


新しい変化に際して必要なことは、もうひとつ
それは新しい人と出会うことだ。

出会いは、大きな変化のチカラだ











2015.11.17
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 13:08 | - | - |
2015.10.28 Wednesday
今を生きる息づかいのある唐紙
息づかいのある唐紙.JPG

京都、兵庫、東京、東京…4回のトークショー+1

初エッセイ「日本の文様ものがたり」を出版してから1ヶ月程経ち4回のトークショー+1をした。おかげさまで先週末開催した初めて新宿伊勢丹で行うトークショーも両日定員超え。日本一感度の高い百貨店に、ようやくお声をかけてもらえるようになったことは、素直に嬉しい。

毎度毎度講演が終る度、途端に思うのだが、ぼくは話すのが苦手だ。結局のところ、言いたいことがちゃんと伝わっていないような気がするし、つたない表現とあちこちとんだ話のし具合により、お客さんもきっと、なんだか核心を捉えにくいんだとも思う。
ただ、そんなぼくでも情熱だけは伝わるので、何%かの人々には熱が伝わり聞き手の方々の中にはなんだかわからないけど感動したりもする、また、察する能力のあらはる方はぼくの足りない話を補いながらも理解してくれはるので妙に仲良くなれたりもするし、その後のメールや手紙などにより、ぼくの話を整理や要約して感想を述べてくれるから、ぼくはそこから大いに学ぶことができたりもする。
講演には講演の面白さがあるものだ…

+1というのは、北海道からやって来る中学生たちの壁新聞の取材を受けた。

「ここで歴史が動いた」をテーマに、
現代アートとしての唐紙にも取り組まれているトトアキヒコさんにお話を伺い、
伝統の継承者として、また現代アーティストとしての思いやご苦労、作品への工夫などを取材する。

というものだった。

初めはスケジュール的にも難があり断ろうと考えたのだが、カミさんが、せっかく若い子たちがトトに会いたいと言っていることだし、未来の日本を担う人たちになるかもしれないのだから、会ってみてはどうかとの助言もあり、会うことにした。
ぼくたちのアトリエで中学生たちの取材を受け入れたのは初めてのことだ。

彼ら彼女たちの眼はとても素直で話すこと話すこと、とても真剣に聞き取ろうとする様は、ある意味新鮮だった。そこには、これまで幾多もの講演で味わってきた品定め感や批評感、既成概念に満ちた視線や、はたまた居眠り…などといったこととはほど遠い、ただただ好奇心と素直な聞く姿勢。
そして、質問は核心をついていた。

成長には素直が一番だ。

つい、ぼくは生徒たちがいつか役立つであろう秘伝を伝授してしまった。
それはどうすれば、野茂やイチローやトトアキヒコになれるかである。
生徒たちは、取材後の感想をそれぞれのべる際に、みな一様にそのことにふれていたことから、余程、印象に残ったと思える。

未来の日本を担う少年少女たちに、光あれ、だ。



こういうありとあらゆる感情や出会い、全て含めて森羅万象がぼくの命を通じて今を生きる唐紙となる。

モノも技術も伝統も文化もそこには、必ず人間が介在する。
講演でぼくが毎回力をいれて必ず話すことは、そこだ。
つくり手だけでは成り立たない。
愛おしんでつくったものを、愛でてくれはる人がいてこそ、モノはモノを越えて呼吸する。モノだけでは残らないのだ。

愛おしんでくれる人がいて、初めてモノは生き長らえる。

人々の祈りを宿した文様の物語や歴史の息づかい、先祖が守った力の息づかい、それらが降り積もる時間の蓄積とともに唐長の板木に宿り奇跡の1枚として存在する。
ぼくは今を生きる人間としてその力をうつしとり、呼び覚ますために今の時代を生きる息づかいとともに板木に手をそえるのだ。

3つの息づかいが相交わるときに、この世に美しい唐紙が誕生する。

ぼくは、息づかいある「生きる唐紙」をつくり続けたい。
それが誰かの家々でしあわせを分かち合い、家宝となり息づくことを願う毎日だ。











2015.10.27
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 01:17 | - | - |
2015.10.07 Wednesday
「京都の時間」千田愛子
京都の時間.JPG

夫婦同時発売というのは希有なことだと思う。
おかげさまで、ぼくたちの初エッセイはそれぞれ無事船出を遂げ、いろいろな反響を頂いている。ぼくの本がこの世に誕生したのは、読者の方は、既におわかりいただいたかと思うのだが、天命があるからです。その天命を遂げる為、唐紙師へと命を注ぐ原動力となり、これまでの苦難の日々を支えてくれたのは妻である千田愛子である。

そんな彼女の本「京都の時間」は、千田愛子が見た京都のおすすめのコトやモノということを案内する本の体裁をとっているのだが、実は大切なことは何かということを問う1冊なんだと思う。

字数の制限や京都という枠組みにおさめているので、ぼくからすれば、彼女が大切にしていることのまだまだ一部だと感じるのだが、何が自分にとって大切かということを知ることが暮らしを豊かにする鍵だということが随所に感じられ肩の力がぬけた一冊になっている。ぼくにとっては、一冊を通して一番目につくのが「主人」という言葉でした。手前味噌になりますが、彼女が一番大切にしているのは、ぼくとの時間ということになるのでしょう。すなわち、読者の方へのメッセージは、友人であれ家族であれ、大切な人とすごす時間の大切さ。
その人と何を食べるか、どこへ行くのか、どんな格好で会おうか、何について語ろうか、お土産何を選ぼうか、招く料理は何にしようか、どういうしつらいにするのか、どうおもてなしするのか、その時、何を着るのか、どんなファッションにしようか、どんな家に暮らそうか、どんな部屋にしようか…さまざまなことに、あらゆることにつながってゆく、根本的なことは、誰とどう関わって生きてゆくのか、です。
そこに介在するのがモノ。

物事やモノ自体の善し悪しの判断を自分の価値観ですることはとても大事なことです。ブランドやラベルに左右されて、人が良いというから良いのではなく、高価だから良いものとか、毛並みどうこうとか、そういう価値観ではないのです。ほんまもんは、そういう価値観ではありません。
彼女の本から、そのことが伝わればぼくは嬉しく思うのです。

身につけるものや身の回りのものでも、自分の好きなものを選び取る力が大事だと思うのです。モノを見る眼、しかも、本質を見る眼が大事で、それは、好きが一番だと思います。

好きゆえに物語が生まれ、人がそれを語り継ぐようになり、伝播する。

千田愛子の好きは、きっと、続編が生まれ、インテリアやファッション、暮らしかたなどを彩る世界をこれからも発信してゆくことになるでしょう。



千田愛子の初エッセイ「京都の時間」
唐紙師トトアキヒコの初エッセイ「日本の文様ものがたり」
は、全国の書店で発売中です!

唐紙師トトアキヒコのトーク&サイン会も下記日程で行います。
ご都合あえばお越しください。

10月10日には、京都四条烏丸「大垣書店四条店」
10月12日には、兵庫県西宮の100種類以上のハーブに囲まれた自然の中にある体感型施設「むすびのガーデン」
10月24日、25日には、東京「伊勢丹新宿店」











2015.10.7
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)

| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 06:02 | - | - |
2015.09.25 Friday
風に煌めく葉
煌めく葉を見た.JPG
赤山禅院にて
風に煌めく葉がひとつ
くるくるクルクル回りゆく

まばゆき光 不思議な葉
思わずぼくは駆け寄り見た

陽光のなか
くるくると
キラキラと
輝くただ1枚


その前兆は
ぼくの胸をこんなにも高めた

来るべきその花を
風がぼくに知らせを届けた











2015.9.24
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 01:57 | - | - |
2015.09.18 Friday
唐紙師の生きた証
日本の文様ものがたり.jpg

今日、大切なモノが届いた。
これは、ぼくが唐紙師として生きた証となる宝だ。



ぼくの頭の中が1冊の本になっている。

何を思い、どう行動してきたのか、そして、その先に何を得たのかがこの本を通じてこれからの世界に、今と未来の歴史に刻まれると言える。
トトアキヒコがトトアキヒコになるために、これまでどれほどまでの覚悟と努力を持ってこの世界で戦ってきたのかは、筆舌しがたい物語がたくさんあるのだが、それもまた、後から道を歩む後進のために、小説としてまとめる日が来るだろう、と今回の本を書き終えた時に確信した。
そして、その本は脚本となり映画化されるのだ…

今宵のアトリエでの制作を終え、さきほど帰宅。
ようやく静かに自書と向き合えた。
自らページを開くその音に感触に、匂いに、風に…
ぼくは、壮大な未来の扉を感じた。

命と命をつないできた美しい唐紙文化

未来へとつなぐ今の命を授かる者として
ぼくは、次世代に伝える思いをこの本に記したとも言える。





この本に関わって下さったさまざまな方々には本当に感謝です。
どこにもない美しい本をつくろう、と、講談社のO編集者には、たくさんの無理を言ったように思う。たいそう世話になったとともに、ぼくの頭の中を表すために、美術や寺社のさまざまな資料を共に構築する時間はとても楽しく、時に難題をいくつもクリアーしてゆく中で良い関係性が築けたように思うし、お寺の非公開の仏像と縁を結ぶことができたことや、その仏像撮影もぼくがしたことも忘れ得ぬ記憶になった。

そして、切実な願いとして英訳を頼んだ。唐紙文化を世界に伝えるため、ぼくが唐紙師としてこれから世界の舞台へ出るであろうということをO編集者は、ちゃんと信じてくれて、たぶん各方面たいへんだったろうに調整し、結局、バイリンガル表記してくれたことに心から感謝を述べたい。

人が人を信じる種は、やがて人生において大きな意味を持つ

この世界に自分の可能性を信じてくれる人が自分以外にもいるということは、それはとてもとても大きなチカラと支えになる。

そもそも、愛子の本のK編集者が、昨年、相田みつを美術館でぼくの美術展を見てくれたことからO編集者に紹介し、この本の企画は生まれた。K編集者が可能性を見いだし、信頼してくれたこそである。
二人の編集者の共感力のおかげで、ぼくは思想をカタチに表すことができ、おかげさまで、世界のどこにもない本が生まれたのだ。



宗達や光悦、光琳、等伯、探幽に北斎…が唐紙とともに楽しめ
しかも、
ピカソにシャガールやクリムトからケルトに土偶まで!?
なぜか
唐紙と共に描かれている
こんな本は、見たこともなく前人未到の試みといえるでしょう!

世界に投じるこの1冊が、唐紙文化の進化と世界の人々のしあわせに繋がることを
心から
ほんとうに願っています。

2015年9月25日発売予定
日本の文様ものがたり(講談社)
唐紙師トトアキヒコ著




夫婦同時発売です
京都の時間(講談社)
著:千田愛子











2015.9.17
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 03:43 | - | - |
2015.09.14 Monday
秋の審判
実りの秋.JPG


秋の審判です。
この1年、自分が蒔いた種、育ててきたことから
いかなる実りの恩恵を授かるのか

そこには自分が行動してきたことの全てが現れます



昨年の今頃は、東京国際フォーラム相田みつを美術館にいた。
歴史上はじめてとなった唐紙によるアート作品1428点にうめつくされた会場による展覧会は、前人未到の唐紙師として世界に声を発した。

あれから1年。

ぼくは、新しい舞台へ上がる準備をしてきた。
間もなくステージが変わり
違う景色がやってくる。











2015.9.13
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 00:17 | - | - |
2015.08.31 Monday
唐紙師トトアキヒコ初エッセイ刊行 日本の文様ものがたり
トトアキヒコ初エッセイ.JPG

進化とは、異なる環境に適したさまざまな生きものを生み出す枝分かれの歴史である、というのはダーウィンの考えだ。
変異と多様性ということを携えた種こそが、生きながらえる種として保存し続け、そうでないものたちは淘汰されてきた。





何かを発信するには、発信するだけの力を得なければならない。
数年前からずっとずっと願い、行動し続けてきたことがようやく今回カタチになる…


ぼくは、これまで唐紙師として、さまざまなことに挑戦し、創造してきた。
例えば、この唐紙師ということば一つにしても、数年前に意図して復興した言葉。
名称は存在していたが、近年は、呼ばれることも知られることもほんどない言葉でしたが、ぼくは唐紙普及のために復興しました、そしてそれは今のぼくのポジションを当時から見据えて始めたことでもあります。
おかげさまで、今や「唐紙師」と検索すれば、1番にトトアキヒコとでてきます。
これは数年前から誰よりも努力し続けてきたからこそ、今のポジションがあると思っています。

唐紙の歴史にアートの分野に道をつくると決めた時もそうでした。
何度かブログにも書いてきたが、数年間もの間、さまざまなことを戦いぬき、昨年2014年に前人未到の唐紙師として開催することができた展覧会

唐紙の美 トトアキヒコの世界
雲母の旋律 - 400年のひととき -
(相田みつを美術館)


おかげさまで1万人ほど訪れたこの展覧会は、唐紙師としての立場を確固たるものにすると同時に、ぼく自身の発信力を大いに高めた。発信力が高まると、それに比例して共感者、賛同者が増えるということにつながる。

数年前…
ぼくは、ぼくに見えた風景を、世界と共有するためには、その考えと風景を世界に見せる必要があると思った。

共感を得るには共感が得られるように努力し続けなければいけない。
失われてゆく日本文化、唐紙文化の中で、わかってもらえないのは、わかってくれない他者や社会が悪いのではなく、わかってもらえない自分が何より悪いのだという考えから全ての行動は発している。
おかげさまで、今や、アートとして唐紙のオーダーが途切れることなく続いている。



唐紙を伝え、つくり続けるなかで、ぼくがとても大切にしてきたことがある。
それは、「呪能」

アトリエでみなさんからオーダーを受ける際には必ず毎回毎回、真剣に語り続けてきたことであり、講演会でも必ず自分自身のことばで語り続け構築しつづけてきた世界観であり、この話に及ぶと聞き手の方々は眼を輝かせていた。

数年前から千田愛子の本を企画していた編集の方が、ぼくの美術展を見てくれた上でこの考えを知り、別の部署の編集者にその存在と考えを紹介してくれたことで、それらの思想をまとめたトトアキヒコ初エッセイがアート本として講談社より刊行されることになりました。
これが7月17日のぼくのブログに記したことであり、ここ数ヶ月ほとんどブログの更新をしなかった理由でもあります。
ことばに全霊を込めて、エッセイの執筆につぎ込んでいたからです。


気配のある美をテーマに写真もぼくが撮りおろし、板木や唐紙の陰影美、風景写真、エッセイにまつわるさまざまな美術資料などを絡めて200ページほどにとりまとめました。



最後には、相田みつを美術館で来場者の方、数千人の人々が祈りや願いをこめて染めてくれた作品「shi-fuku」を完成させたものを掲載させていただきました。
どういう形で携わっていただいた方にお披露目するのがよいのか、会期後ずっと考えていましたが、講談社さんが素晴らしい機会を与えてくださったので、ぼくの初エッセイとなるこの本で、その機会を得るのが良いと思い8月に仕上げ最後の最後にページにさしこんでいただきました。
みなさんが祈りをこめてくださったしふく刷りがこのような最高のカタチでお披露目できることを、心より感謝いたします。今日の写真は、その作品の部分。全貌は、ぜひ、本をご覧いただければと思います。


人生には転換点がいくつかあります。
むかし、ぼくの考えが変だとか違和感があるとか、異を唱えられた時代を思い出します…
今回の本でも異端の唐紙師として紹介されていますが、今は、むしろ異端と呼ばれることでさえ「力」であると感じます。

転換点とは生物学的にいうと種が途絶えるか、枝分かれの芽を生じてゆくかの転換点でもあります。
ぼくは、唐紙における「生命の樹」を進化させ続けるためにもこれからも戦い続けるでしょう。

今回のエッセイの出版は、昨年の美術展と共に、まちがいなくぼくの唐紙師人生にとって転換点であり、チャンスです。
巡り合わせやチャンスは勝手にはやってきませんし、ぼーっとしてたら通り過ぎます。
偶然という名のチャンスでさえ意図的にをものにする器がなければ舞い降りてはきませんし、その器は、自助努力なしには決して得られるものではないことを、ぼくは知っています。

世界に投じるこのチャンスの一石が、唐紙文化の進化と世界の人々にしあわせに繋がることを
心から
ほんとうに願っています。






KIRA KARACHO(雲母唐長)の本
2015年9月末頃夫婦同日発売予定
講談社
日本の文様ものがたり
著:トトアキヒコ

講談社
京都の時間
著:千田愛子











2015.8.30
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 02:45 | - | - |
2015.08.05 Wednesday
美瑛の青と美影の青
美瑛の青.jpg

昨年、唐紙の世界では、前人未到となるアート作品による美術展を開催するまで、走り続けてきたけど、実は、展覧会の会期終了日、1427+1枚の作品を撤収し、ひきあげた後の何もない会場にポツンと一人で佇んだ瞬間、とてつもない孤独感に陥ったのです。

長い唐紙の歴史において、アートという見解から作品を制作し、世に問うた人は誰もいなかった訳ですから、ぼくが目指した道は、当然、比べる対象もなく、正否を問う事も無く、ただ一人、そのポジションに立ち向かい、切り拓くしかありません。
そして2014年秋、相田みつを美術館のおかげで、東京のど真ん中で、世間にお披露目する場に立てた訳です。
1万人ほどの方々にその舞台を感じてもらえ、多くの反響をうけるなか、ぼくは成し遂げたことの達成感よりも、これから立ち向かうさらなる世界への広さに愕然としたのでした。
成し得たことよりも、自分が為すべきことへの大きな壁を明確に意識したことの方が、成果だったのかもしれません。
それは、極端な言葉で述べると、こういうことです。

世界は、まだ誰も唐紙を知らない。


前人未到とはこういうことか、と、その風景に佇んだことを昨日のように覚えています。これは文章ではなかなか伝えられないことです。
なぜなら、そこに立った人だけが、見る風景だからです。

それ以降は、8ヶ月もの間、唐紙師人生はじまって以来、一番のスランプともいえる苦しい時期をすごしました。

従来の襖や壁などの唐紙づくりは、自ずと身体が動くので何の苦もなく、日々楽しく向きあえるのだが、自らが切り拓いた唐紙アートの道にのたうち苦しみを味わうこととなる。
自身の最大の武器である「しふく刷り」やそれを駆使したアート作品づくりに関して苦悩を極めた時間の集積が日々積み重なり、これほどに作品と向き合うことが、しんどい時間は、ありませんでした。
次々と生み出し続けてきた自分の作品が自分自身に襲いかかってくる感覚です。

常に、前よりも新しいものを、良いものを、見たことのないものを…
と、思えば思うほどに過去の自分が立ちはだかるのです。



先ほど孤独と記しました。
が、ぼくは大きな過ちをおかしていたのです。

周りを見渡すと、ぼくを信じて待っているお客さんがいました。家族や友人がいました。
周囲に心を開くことが必要なことでした。素直に話をしてゆくうちに、周りの方々の手が差し伸べられました。素直に心を開くということの尊さを知りました。弱さをさらけだすということは、人間というものを知る機会にもなりました。

心の弱さは弱さではなく、絆の強さへと転換してゆきました。

みんな、さまざまな言葉で励まし、力を与えてくれました。どうにかこうにか、立ち向かいつつ、徐々に作品が生まれ始めましたが、なかなか進まない作品がありました。北海道のご夫妻からの依頼で5メートルに及ぶ「しふく刷り」トトブルーをグラデーションで描くという作品です。京都の青ではなく、北海道の青で。
北海道の青を知らないぼくに夫妻は写真をたくさん送ってくださったり、DVDを編集してくださったりと創作のイマジネーションの手助けをして下さいました。
玄関先に5メートルほどの作品。つまり、2年もの間、5メートルの空間が空っぽだった訳です…
夫妻にスランプを記した手紙を書きました。
その後頂いた驚きの言葉は、ぼくの人生の宝ものです。


スランプの中で、ひとつわかったことがあります。
例えば、イチローが打てなくなった時にどうするだろうか、ということです。
打てなくなった場合に、また打てるようになるのは、打席に立つことのみ、野球と向き合う事以外に再び打つことはできない訳です。要するにバッターボックスに立ち続けること以外に越えることはできない何かがあるのであろうと思うのです。

ぼくの場合は、唐紙をつくることです
唐紙によるスランプは唐紙と向き合うこと以外に道などない

と、見据えることでした。

幸いにも、たくさんの方々からいろんなオーダーが毎月ありつづける中で
普段通りの唐紙づくりを黙々と淡々とつくり続けるということが、一種のリハビリのになったともいえます。
淡々とつくり続ける中でぼくは立ち上がってゆきました。

唐紙によるスランプは、唐紙でしか乗り越えられない

これがぼくの出した答えであり、つらかろうが、苦しかろうが、つくり続けるしかないわけで、唐紙によるスランプは、唐紙でしか乗り越えられない

唐紙師のぼくは、唐紙と向き合うことでしか見いだせない何かがある

人は皆、困難や悲しみからの学びから、その次の瞬間の行動が試されている。
選んだその道が正しいか否かで悩んだり迷ったりするのではなく、その道が正しくなるように自分が行動すればよい。



先日、北海道の作品設置が完了し、ご夫妻と設計士夫妻と大いに喜びを分かち合いました。
ぼくにとっては、眼を見て話すこと以上の誠意はありません。

光と影。
人生には浮き沈みがつきものです、良い時も苦しい時期をも乗り越えて陰影を放つ人生の如きトトブルー作品は「美影(びえい)」と名付けました。
夫妻のおかげでこれまでの「しふく刷り」とは違う、新たな表現方法を会得しました。


美影の青を得た今のぼくに、スランプは、微塵もありません。











2015.8.4
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 01:15 | - | - |
2015.07.17 Friday
その向こうへ
その向こうへ.JPG

ぼくには、ぼくを通して見えている世界がある


誰かが気づこうが気づかまいが
想像した以上に
世界は動きはじめている





近々、あることを発表します。
これまで積み重ねてきたことであり、ここ数年ずっとそこを目指してやってきたことが、ようやくカタチになる


目にうつることと、見ることは違う


遠くを見る力が、今為すことにつながる
そして、今、この目の前の1歩だけが
やがて、とてつもない遠くへと辿り着く唯一つの道


美しい花が、そのことを教えてくれた










2015.7.16
唐紙師トトアキヒコ
KARAKAMI artisan TOTO AKIHIKO(KARAKAMI-SHI)
| 唐紙師トトアキヒコ | 思い | 03:30 | - | - |